2010年10月31日日曜日

8月22日、再開

夏のロシア旅行のアルバム、エカテリーナ宮殿を終えて、ちょっと中断していました。
が、ようやく再開し、ペテルゴフの最初の20枚をアップしました。



video

2010年ツァールスコエ・セローとペテルゴフ

リッちゃんの恋について

沼野先生訳の『新訳チェーホフ短篇集』収録のチェーホフの作品は以下のとおり。

*かわいい(従来のタイトル『可愛い女(ひと)』
*ジーノチカ
*いたずら(従来のタイトル『たわむれ』
*中二階のある家 ある画家の話
*おおきなかぶ
*ワーニカ
*牡蠣
*おでこの白い犬
*役人の死
*せつない(従来のタイトル『ふさぎの虫』)
*ねむい
*ロスチャイルドのバイオリン
*奥さんは小犬を連れて(従来のタイトル『小犬を連れた奥さん』等)

どれも割と好きな作品で、全集のみならず未知谷のチェーホフ・コレクションシリーズを集めて愛でているというものが多い。
(青文字がチェーホフ・コレクション所蔵の作品です)

特に「いたずら(たわむれ)」は、最初に知ったのが実は本ではなくお芝居だった。
それもプロのではなく、学生演劇。
上智大学内の小さな劇場。
客席まで張り出した「雪山」の装置を、主演の男女が何度も橇で滑り降りる。
「好きだよ、ナージャ!」
「好きだよ、ナージェンカ!」
と言いながら。
笑った。
最後のナレーション「今となっては、何故あんないたずらをしたのかわからない」というのも、淡々として聞いた。
ちょっとありきたりな結末だとは思いながら。
「彼女にとってそれが一番幸せで、美しい思い出なのだ」というのは、「そのはずだ」という語り手の思いこみないし願望じゃないのさ!と少々冷やかに思いながら。
或いは、それが一番の幸せで美しい思い出なのは、ナージャではなくて語り手の方であろうと思いながら。
でもいい作品だ、と思い、沼野先生みたいにこの作品を残酷だとは思わなかった。
むしろほのぼの系だと感じた。

それと、沼野先生はアヴィーロワの回想について、つまり「チェーホフとの恋」について、かなり懐疑的に書かれています。
が、先生も引用されたイワン・ブーニンの「彼の生涯には、せめて一度でも大いなる愛があっただろうか」という言葉、そのあとに「いや、一度あった。リディア・アヴィーロワと。」という部分を載せなかったのは意図的なのだろうか(たぶんそうだろう。)

『かもめ』『恋について』などの作品にはアヴィーロワの存在が投影されているというけれど、沼野先生の解説によると、『いたずら』(たわむれ)のナージャにも、アヴィーロワは絡んでいるということです。

スーズダリでの朝、散歩に出かけて、ホテルを出てすぐのところにこんなものがあった。





何だろうなあと思って、その場に行ってみました。



上から見るとこんな感じ。

もうおわかりでしょうか。
滑り台というか、橇山というか。

軽薄な私はさっそくナージェンカになった気分だったのでした。

2010年10月30日土曜日

トルペド

「12の椅子」にトルペド・モスクワの2部リーグ中央地区優勝の記事を書いたところです。

50-60年代には文句なく強豪だったトルペド・モスクワ。
勿論このころのトルペドをリアルタイムでは知りませんが、「モスクワを歩く」とか「私は二十歳」とか、あのころの古き良きモスフィルムの作品に出てくるサッカークラブなのですよ。
70年代だけど、戯曲の「メトランパーシ物語」なんかも。

モスクワ・ダービーというと、当時は当然のようにスパルターク・モスクワ対トルペド・モスクワ。
(もっと前だとスパルターく・モスクワ対ディナモ・モスクワ、今ならスパルターク対ロコモチフ、だろうか?)

まあ、トルペド・モスクワは、そんな当時の栄光が嘘のように落ちぶれて、3部リーグまで落ちてしまっていたのだけれど、ようやく2部リーグにあがり、今シーズン2部優勝で、来シーズンは1部リーグ昇格。
おめでとう。

ところで、一部リーグに昇格する、2部リーグ各地区の優勝クラブはと言うと、
西地区:トルペド・ウラジーミル
南地区:チェルノモーレツ・ノヴォロシィスク
中央地区:トルペド・モスクワ
ウラル・沿ヴォルガ地区:ガゾヴィク・オレンブルグ
東地区:メタルルグ=エニセイ・クラスノヤルスク
と、トルペドの名前のクラブが二つ。

不思議なことに、モスクワのクラブなのに、カンチェルスキスが監督するトルペド=ジルは西地区所属です。
トルペド・ウラジーミルに及ばず、西地区2位でした。
どうかすると、トルペドだらけになるかも、ロシア一部リーグ。

せつない

セルゲイ・ドヴラートフやアレクサンドル・グリーン、あるいは歌手のヴィクトル・ツォイといったロシアの文化の風を、沼野充義先生のご著書・訳書を通じて、知ることとなった。
沼野先生は、そんなロシア(レムなんかのことを考えるとスラヴ)文化の水先案内人だったのです。

沼野先生がチェーホフの短編の新訳を上梓されたと知り、「沼野先生がチェーホフ?!」と感じました。
もっと直截に書くと、「えー、沼野先生、チェーホフ訳すよりも、他にやることやってよー」という感覚です。

チェーホフを訳せる人は他にもいらっしゃる。
しかも皆それぞれ熱心に研究されていて、すばらしい訳をされている。
沼野先生は、既訳のある大家の作品ではなくて、鋭い嗅覚で「こんないいものがあるんだよ」と、私たちの目の前に提示してくださる、そういうお仕事を続けてほしい。
そんな風に思ったのです。

ともあれ、集英社『新訳 チェーホフ短篇集』を読みました。

・・・・・・・・・・・。
すごくがっかり。
やっぱり沼野先生には既訳のない<掘り出し物>紹介に専念していただきたかったな。

沼野先生はチェーホフがお好きだったと書かれているけれど、このタイミングでチェーホフの新訳を出されたのは、
・亀山郁夫先生のカラマーゾフが大ヒットした
・『1Q84』でチェーホフが取り上げられている
という、ここらでチェーホフの新訳を世に出したら当たるんじゃないかと、目論まれたのでは?

訳文が、とても亀山先生的なのですよね。
『いたずら』で、ナージャをナッちゃんとしている箇所とか、かなり違和感持ちます。
それで読みやすくなるのだろうか??
(私の感覚はきっとかなりコンサバなのだろうけど。)

かと思うと、『ジーノチカ』で語り手が母親のことを「ママン」と言っている(大人の男性が他人に向かって語っているときに自分の母親を「ママン」と言うのを、私は聞いたことがないので、ものすごく不自然な、<おふらんす>な印象を受ける)。

訳語を工夫された(沼野先生は否定されているが、<奇をてらった>)部分と、あまり丁寧でなく訳し飛ばした部分の、落差が目立つ。

そんな印象を持ちました。
なんだかせつないなあ。
沼野先生、今までファンだっただけに。

解説の部分はまあまあでした。
が、それも心の琴線に触れる箇所はこれまでよりずっと少なかったように思います。

アントン・チェーホフ著沼野充義訳『新訳チェーホフ短篇集』

2010年10月29日金曜日

授業参観

先週は出張のため欠席した授業。
先生からのメールには「サプライズゲストがいるかもしれません」とあったのです。
それはなんと現在の先生の、前の前の前の前の先生!

思いがけない「授業参観」だったのでした。
そして、うまいことに、私には先週の出張先からのお土産があったのでした。

しかし、肝心の授業の方は・・・
最近はほぼいつものことになりつつあるが、ほとんど予習しないまま、いわばぶっつけ本番になってしまった授業の場で、文法的な質問にはささっと答えられたけれど、単純なテクストの音読は若干しどろもどろ。
このところ、語学の基本の基本、音読をさぼっていたので、朗々と美しく読んで、懐かしい恩師を感心させる、というわけにはとてもいかなかった。
あーあ・・・・やはり日ごろの地道な努力を怠ってはいけませんね。

さて、授業の復習。
много народуのような生格第二型の単語を挙げてみる。

(1)数量に関係する物質名詞の部分生格
*人々народ-народу
 数を表すことば(много,мало,сколько)と結びつく時
*氷лёд-льду
*チョークмел-мелу
 チョーク一本 кусок мелу
*砂糖сахар-сахару
  角砂糖一個 кусок сахару
  砂糖を加える добавить сахару
*雪снег-снегу
*お茶чай-чаю
  お茶一杯 чашка чаю
  お茶を注ぐ налить чаю
*チーズсыр-сыру
*ケフィールкефир-кефиру
*カッテージチーズ творог-творогу
*花цвет-цвету
*毛皮мех-меху
*蜜мёд-меду
*コニャックконьяк-коньяку
*脳髄мозг-мозгу
  但し、до мозга костей骨の髄まで

この他
*アーモンドминдаль
*お米 рис
*煙草 табак
*スープ суп
*胡椒 перец
*タール дёготь
*砂 песок

(2)決まった言い方で使われる語結合
*一時(間)час-часу
  一時まで до часу
  一時から с часу
 約一時間 около часу
 注)часаでもよいが、часа(2~4と結びつく時の単数生格)ではない
*重さ вес-весу
*景色・外見 вид-виду
  体裁のためにする сделать для виду
  見失う потерять из виду
  外見からわかる знать с виду
*家 дом-дому
  自宅から из дому
  自宅まで до дому
  自宅から от дому
  上記はいずれも前置詞に力点。「建物」ではなく、「自宅」という意味の時に。
*森 лес-лесу
  森から из лесу
*会話 разговор-разговору
  これについては議論の余地がない。Об этом и разговору нет.
*世・光 свет-свету
  夜明けまで до свету
*回 раз-разу
  そのたびに раз от разу
  一度も~ない ни разу не
 但し、
  最初から с первого раза
  次回まで до другого раза
*列 ряд-ряду
 (2~4と結びつく時の単数生格はряда
*歩 шаг-шагу
  一歩も退くな Ни шагу назад!
*風 ветер-ветеру
*恐怖 страх-страху
  怖かったので、恐怖のあまり со страху
*精神・勇気 дух-духу
  勇気を出す набраться духу
*行程 ход-ходу
  3時間の行程 три часа ходу
  但し、от хода
*意味 толк-толку
  これには意味がない в этом толку нет
 無駄話をする говорить без толку
*下から上まで  с низу до верху
*倒れるまで  до упаду
*無断で  без спросу
*立て続けに  без умолку
*餓死する  умерать с голоду

2010年10月26日火曜日

マトリョーシカちゃん

たぶん94年にロシアとリトアニアに行った時のことだと思うけど、私はマトリョーシカを買って帰り、当時の職場の同僚にお土産にあげていたらしい。
すっかり忘れていた。

今回のロシア旅行では、マトリョーシカは買わなかった。
最近は「今さらマトリョーシカなんてなあ…」という気分になっていたのでした。
(生意気な…。)
同行者は、「マトリョーシカの絵付け体験」があるコースを推していたりしたが、私は全く関心を持たなかったのです。

民族村?で見たような政治家マトリョーシカなんてなんだかなあでしょ?

女性上位なのか、ドイツのアンゲラ・メルケル首相とフィンランドのタルヤ・ハロネン大統領(通称ムーミンママ)が目立ちます。
しかし部屋に飾るのはどうかと思ってしまう。

あとはマレーヴィチのマトリョーシカはちょっと惹かれた。


「オデッサ・コスモス」に紹介した、沼田元氣著『マトリョーシカ大図鑑』を見たら、やっぱり素朴なマトリョーシカがよいなと思える。
トークショー(お土産つき!)もあるぞ。

こちらはエカテリーナ宮殿のミュージアムショップのマトリョーシカ

2010年10月24日日曜日

出張帰り

羽田空港国内線某出発ロビーに


ロシア代表の選手たち。
多くは仮眠中。

背の高さから言って、これか。

2010年10月19日火曜日

モスクワ対カフカース

МОСКВА ПОКОРИЛА КАВКАЗ.
モスクワの圧勝であった…。

テレク・グローズヌィ0-3ツェスカ・モスクワ
ディナモ・モスクワ4-0アンジ・マハチカラ
スパルターク・モスクワ3-0アラニヤ・ウラジカフカス

これもか?
ロコモチフ・モスクワ1-0スパルターク・ナリチク

一方、一部リーグでは、クバン・クラスノダールが2位以上が確定し、来季のプレミア昇格が決まりました、

長い道を

年齢がばれてしまうかもしれないが、その曲、私は「花の季節」で習った。
いや、今教科書を広げてみて、何の書き込みもないところをみると、授業ではやらなかったのかもしれない。
でも、私はリコーダーを吹くのが好きだったので、授業でやらなかった曲も、教科書に載っていたのは全部自分なりに吹いていた。
だから、曲も覚えていたし、歌詞も何となく記憶に残っていた。

♪遠い野道をただ 馬車は過ぎてゆく♪
2/2拍子のアダージョから始まり、
♪とーきーはー♪
の後で2/4拍子に変わり、テンポもアレグレットに。
♪めーぐり まちのそーらに ひかりあーふれるあさに♪

教科書には「ジプシー民謡」と書いてあり、ルーマー・ゴッテンの『ディダコイ』で読んだような、ジプシー(と当時は言っていた)の馬車が田舎道を通って行き、やがて饗宴を広げる様を想像していた。

ずっと後になって、このメロディーを聞き、
「ロシアの曲なんだよ」
と言われた時には、そうなのか、と思っただけだった。
「長い道を」という題名で、歌詞は教科書で習ったのとだいぶ違っていた。
「悲しき天使」というタイトルやその歌詞やその作詞者・歌手については全然知らなかった。

実は結構好きな曲で、iPodに入れて、毎日のように聴いている。
ロシア・ソヴィエト映画祭の会場で買った「ロシア民謡ベストアルバム」というCDのトリの曲なのだ。
歌っているのはニコライ・ニキツキー。
(勿論ロシア語です。)
このCDの解説・対訳は伊東一郎先生で、
「フォーミン作曲、ポドレフスキー詞のジプシー歌謡風の曲で、おそらく1920年代の作曲と思われます。」
と書かれている。
土曜日に、ユーラシア・サロンで山之内重美さんからいただいた資料によれば、この「長い道」の作年は「1917年」となっている。
ユーラシア・サロンのあった16日(土)の朝日新聞の「うたの旅人」で、この曲が「悲しき天使」のタイトルで取り上げられており(私としては最も馴染みのない名前で書かれているのが大いに遺憾であるのだが)、ここでは作年は「1920年代」としている。
フォーミンは1900年生まれなので、1917年の作曲だとすると、17歳。
ちょっと若いな~という気はする。
若書きしたっていうより、なんか老練な、過ぎし日の青春を振り返る、歌詞と曲調だから、17歳でこんないい曲作るなよ、という感じがしてしまう。
しかし、あの革命初期の頃って、みんな恐ろしく早熟で、いわゆるロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちは揃って若気の至りで、とんでもないことをしまくっていたのだから、まあ天才なんてそんなものだと言えばそれまでだ。
この曲に関して言えば、作詞・作曲が誰だったのかはわかっているけれど、年代をはっきり特定するまでには至っていない(まだ少し幅がある)、ということなのだ。

「ロシア民謡ベストアルバム」、これはロシア製ながら、珍しく歌詞カード(ロシア語の)なんかが入っている。
それには英語表記のタイトル・作詞者名・作曲者名・歌手名も書かれている。
1990年代後半のものだと思うが、その時点では、
*「カリンカ」
*「前髪」
*「トロイカ」
*「ヴォルガの舟歌」
が「Russian Folk」ということのなっている。

でも、山之内重美さんの資料によれば、
*「カリンカ」は作年が1860年、イワン・ラリオーノフ作詞・作曲
*「トロイカ」は作年が1901年、作詞・作曲は不詳(新聞紙上に引用されている)
となっています。

いろいろな理由から(ロシア・日本双方の事情もあり)、これまではあまり作詞・作曲が誰なのか注意がはらわれず、研究も進まなかったらしい。
が、最近は新しくわかってきていることもたくさんあるようだ。
民謡だと思っていた「カリンカ」に作詞・作曲者がいると知って驚きだった。

『トロイカから私を呼んでまで 続・ロシア愛唱歌集』掲載のものでは、「満州の丘に立ちて」は、私の愛するクルィリヤのホーム、サマーラで作曲・発表されたものだということ、「アムール河の波」の作曲者マクス・キュッスはオデッサに生まれ、1942年にオデッサでのドイツ軍によるユダヤ人虐殺の犠牲となっていたこと、などがわかり、改めて感慨(などと言ってよいのか迷うが)を持ったのでした。

ユーラシア・サロン、なかなか有意義な会だった。
けど、山之内重美さんが「みんなで歌いましょう!」と言っても、皆さんのノリはいまいちだった。
えー!皆歌が好きだから参加したんじゃないの??

2010年10月17日日曜日

むずかしい愛 あるサッカー選手の冒険(「孝行息子」改題)

ユーロ2012予選グループBは、現時点では2位にアルメニアがつけています。
まだまだ序盤とはいえ、この展開は予想外でした。
アルメニア代表選手のリストをみると、若い!
90年代生まれの選手が大半です。
ロシア人から「アルメニア人っぽくみえる」と言われたことがある私としては、ちょっと肩入れしたくなってしまいます。

ロシア代表の方でいうと。
90年生まれのザゴエフはほぼ代表に定着したようで、91年生まれのアラン・ガタゴフやゲオルギー・シチェンニコフ、パーヴェル・ヤコヴレフ、アレクサンドル・ココリン、ヴィターリー・チリュシュキンらが有望株だと言えるでしょうか。
(あいかわらずDFが人材難のようである…)

92年生まれではロマン・エメリヤノフ
2009年、トリヤッティのサッカースクールで同名の富豪アブラモヴィチの目にとまり、チェルシーへ修行に。
2010年1月にシャフチョール・ドネツクと契約、現在はザリャ・ルガンスク所属。

あと、名まえをすっかり忘れたけど、ロシア系エストニア人(エストニア国籍を持っている民族的にはロシア人と言う意味)でエストニア代表にも呼ばれているけれど、ロシア代表になりたい、と言っていた若者がいました。
(92年よりも若かった可能性あり。)

それから、1992年2月22日カザフスタン生まれのドイツ系、その名もアレクサンドル・メルケルが、なぜかドイツ代表ではなくロシア代表を希望しているとのこと。
ユースではドイツ代表としてプレイしたのに、今更なぜドイツではなくロシアなのか?
私はこの選手のプレイを観たことはありません。
この選手の来し方についても、1年前のスポルト・エクスプレス紙に載っていたインタビュー以上のことは知りません。

ドイツ代表で出られるなら、その方がいいような気がするのですが…。
「心からのロシアファンです、ドイツのではなくて」
本人はどうしてこのような心境になったのでしょうか?
代表入りするだけの実力があるのかどうかという問題はとりあえず置いておきます。
彼のロシア代表入りにとっての最大の障壁は、現時点でロシア国籍を持っていないということです。

ヴォルガ・ドイツ人或いは東方ドイツ人と呼ばれるマイノリティー。
彼らがドイツからヴォルガ沿岸地域にやってきたのはドイツ出身の「大帝」エカテリーナ二世の奨励政策に応えての植民活動ででしたが、そこからカザフへの移動はスターリンによる強制移住によるものでした。
ドイツ人だけではなく、チェチェン人・イングーシ人・朝鮮人など、スターリンによって「敵性民族」とされた民族はカザフのステップに強制移住させられ、カザフは旧ソ連構成共和国のうちで唯一基幹民族が人口の過半数にいかないところとなります。

ソ連から独立後、カザフでも当然民族運動が興隆し、これまで国の中枢にいたロシア人やかつて強制移住させられたマイノリティーたちの多くは移住前の土地に帰還しますが、諸々の事情によりヴォルガ・ドイツ人には帰るべき土地がなく、ロシアやドイツへ移住することになりました。

メルケル一家も、彼が6歳のときにドイツに移住。
移住当時のメルケル一家がそうだったのかどうかはさだかではありませんが、こういう旧ソ連圏から移住してくる、かつての「東方植民」の末裔たちは、ドイツに来てもロシア語しか話さず、周囲との軋轢を生み、苦境に陥るようなことも少なくないのです。

ドイツの国籍を獲得。
ドイツのユース代表としてプレイ。
彼の場合、才能あるサッカー選手として、差別や偏見にさらされることは一般の移民一家よりは格段に少なかったと思われるのですが、それでもドイツには溶け込めない何かがあったのでしょうか。
「自分のことは、ドイツ人と言うよりもロシア人だと感じている」

しかしサーシャも、おそらくドイツ国籍を捨ててロシア国籍を得ようと考えているのではなく、現在持っているドイツ国籍に加えてロシア国籍を得て、二重国籍を認めてもらおうとしているのでしょう。
ロシア国籍だけになったら、EU枠でなくなってしまい、イタリアでプレイする上での問題が生じると思われます。

これまでの経歴では、メルケルとロシアの接点はあまりしっかりしたものではありません。
「祖母はロシア人」とのことですが、出生時カザフでの民族籍登録は「ドイツ人」であり、「ロシア人」ではなかった(たぶん)。
出生地はロシアではなく、カザフ。
でもロシアにとっては旧ソ連圏という「近い外国」。
(ロシアの国籍法は、基本的には生地主義ではなく、血統主義です。)
ロシアのクラブでプレイをしたことはない(どころか、これも本人の言うところによれば、「6歳でドイツに連れられて来てからは一度もロシアに行っていない」)。
彼は「自分のことは、ドイツ人と言うよりもロシア人だと感じている」と言うのですが、他人は彼のことを「ロシア人と言うよりはドイツ人」と感じるのでは。

が、恐らくロシア国籍を取得見込みはあるのでしょう。
あるからこそ、ドイツ代表を断るという「英断」をしたのでしょう。
彼はあんまりロシアのことを知らないで憧れているみたい。
錯綜し、難解な、彼の愛郷心。
サーシャくん、ロシア代表になって、ドイツ以上にロシアに幻滅することにはならない?
杞憂ならいいのだけど。
代表入りする前に、ロシアのクラブでプレイしてみるといいかもしれませんよ。
ヴォルガ河畔のサマラはいかが?
サマラに行ってくれたら、「特にイケメンではない」と発言したことは撤回します。

チュリャ

昨日の山之内重美さんのユーラシア・サロンの、あくまで小ネタ。
「一週間」はロシアでは全く知られていない曲だが、「チュリャ」というタイトルでひっそり歌集に入っていたことがあるそうだ。

井上ひさしさんの遺作『一週間』は、やはりこの歌を念頭に置いたものでもあったのだろうか?
まだ月曜日の部分しか読んでいない。
小説の形式だが、登場人物の台詞が、いかにも『井上ひさし節』で、舞台で観たいな~と感じる。

井上ひさし『一週間』
山之内重美『トロイカから私を呼んでまで』
山之内重美『黒い瞳から百万本のバラまで』

待ちに待ったゴール

Шикарный мяч! Шикарный мяч! Шикарный мяч!
シカールヌィ・ミャーチ!(おしゃれだね)、と実況が連呼している。

video

ゴールした後、軽くステップを踏んでダンスしていたから?
第24節にして今季初ゴール、歓喜の瞬間。
にしては控えめな喜びの表情だった。
その後、安堵と疲労の色がうかがえたような。

Андрей Каряка забил 95-й гол в зачет "Клуба 100"

Гол полузащитника "Сатурна" Андрея Каряки, забитый им на 25-й минуте гостевого поединка 24-го тура премьер-лиги против "Томи", стал для него 95-м в зачет "Клуба 100". Для Каряки этот мяч стал первым в нынешнем сезоне.
16 октября 2010

アンドレイ・カリャカ、"クラブ100"認定通算95得点めを挙げる
サトゥールンのMF、アンドレイ・カリャカが、プレミアリーグ第24節のアウェイでの対トミ戦の25分に、、"クラブ100"認定での通算95ゴールめを挙げた。
カリャカにとってはこのゴールは今季初得点であった。

今日は仕事をして、ユーラシア・サロンに行って山之内重美さんに会い(ロシアの歌(特に大衆歌謡)について新しい研究成果を踏まえたお話をしてくださった)、夜も別の予定があったので、この試合はライヴでは観られなかった。
帰路で、携帯からロシアのサッカー速報サイトにアクセスして、得点したことを知った。

2010年10月16日土曜日

孝行息子

カザフスタン出身ドイツ育ちのミランのMF、アレクサンドル・メルケルのインタビュー記事
「自分のことはドイツ人と言うよりロシア人だと感じている」
の中で、自分の関心のある部分の訳を「12の椅子」に、4回に分けて載せました。

しかしまあ、何故にこの子はここまでロシア好きなのだろうか??

カザフスタン代表を選ばなかった理由はわかる。
王様プレイはできても、ユーロやワールドカップの本大会に出られる可能性がまずないから。

でもドイツユース代表に出ていた選手が、多少落ち目とはいえセリエAの有名クラブで期待の若手として名前を挙げられているような人が、代表に呼ばれるのをお断りするなんて。
勿体ない話ですね、普通に考えれば。

ドイツで何か嫌な目に遭ったのか、よっぽど??

26 октября 2009 07:54
Русский немец подобрался к основе ≪Милана≫

このРусский немец って、何と訳したらいいのだろう?
「ロシア系ドイツ人」、ではない。
イリーナ・コルシュノフ(ドイツの児童文学者)やアレクサンダー・シュモレル(反ナチスグループ「白バラ」メンバー、母親がロシア人)のような人だったら、「ロシア系ドイツ人」と言ってよいかもしれないけれど、アレクサンドル・メルケルの場合、祖母はロシア人だとはいうものの、民族的にはドイツ人なのです。
「ロシア出身のドイツ人」でもないのだ。
彼が生まれたのはカザフスタンのアルマアタ(当時)。
ロシアではない。ソ連であっても。
(なお、ワールドカップでは特に勝負強いサッカードイツ代表のミロスラフ・クローゼは、ポーランド系ドイツ人というよりも、ポーランド出身(シレジア/シュレージエン)のドイツ人選手です。)

さらに彼の言うところによれば、「6歳の時にドイツに移住して以来、ロシアには一回も行っていない」。
カザフに住んでいた頃はロシアに行っていたということなのかと思えるが。

何世紀にもわたって「東方植民」してきた地からドイツ「本国」に移住した人々は、ときにトルコ系移民2世、3世(サッカードイツ代表で言えばメスト・エジルとか)などよりも、自分たちの方がよっぽど「ドイツ人」なのだ、豊かなドイツの果実を得て当然なのだ(今まで外地で苦労させられてきたのだから)という意識を持っていたりするという。
ところが、ドイツでは一人前のドイツ人として扱ってもらえない、厄介者扱いされたりする、ということもある。
そういった場合・・・。

アレクサンドル・メルケル君、もしかしてロシアに過大な期待をしているのではないか、と危惧してしまいます。

2010年10月15日金曜日

私たちは勝つ

チリの落盤事故現場からの救出作業を観ていた母が、「久しぶりにこれを聴きたくなった、どうにかして聴けないか」と持ってきたのが、
「アマンダの思い出 佐藤光政」
という、カセットテープ。

佐藤光政さん、さすが芸大!という美しいバリトン歌手。
岸本力さんのバスはやはりロシアがぴったりだけど、佐藤光政さんはラテンがあっていますね。

A面
1.コンドルは飛んでゆく(ペルー)
2.インカの母(アルゼンチン)
3.パラナ川のいかだ乗り(アルゼンチン?)
4.まわれ ひまわり(?)
5.アマンダの思い出(ヴィクトル・ハラ作・チリ)
6.農民の願い(ヴィクトル・ハラ作・チリ)
7.勝利の賛歌(映画「死刑台のメロディー」のテーマ、アメリカ)
8.天使のハンマー(ピート・シガー)

B面
9.ラ・パロマ(キューバ)
10.カプリ島
11ククルクク・パロマ
12ラ・マラゲーニャ
13ラ・クカラーチャ
14シェリト・リンド

でもカセットテープか~。
やっと会議用のカセットテープレコーダーを探しだして聴くには聴きました。
割といい曲ですよね。
(元はLPだったと思う。それには詳しい曲の解説もあったのにな。)
CDにしておきたいものだけど。
レコーダーとPCを繋いでなんかすればできるのか??

チリの歌は意外と少なくて、5と6.
どちらもハラのものです。
私もあの救出の映像を観ていて、ハラの歌を思い出していました。
「平和に生きる権利」とか。

あとは、「ベンセレーモス」ですよ。
私が受洗するときに教友になってくれた人とそのお友達が、少々お酔いになったときに、肩を組んで歌う歌がこれでした。

video


「ベンセレーモス」は「私たちは勝つ(venceremos)」だそうです。

「12の椅子」に書いているアレクサンドル・メルケルくんのインタビュー(昨年10月)の訳の続きは今日はお休み。
インタビューはロシア代表で好きなのはアルシャーヴィンとジルコフとザゴエフで、という話から、ワールドカップ予選の話になって、対ドイツ戦、プレーオフの対スロヴェニア戦、さらにCLグループリーグのルビンとインテル、バルセロナの話になりますが、このあたりは恐らくカットします。
訳しません!
メルケルくんはロシア代表のことを「наши(我が同胞、身内)」と言い、「100%僕らが勝つ(Россия победит. Сто процентов! Без проблем.)」と言っているのです…。

2010年10月13日水曜日

エカテリーナ宮殿のフルート奏者

ロシア旅行のアルバム3日目午前中の部、エカテリーナ宮殿の写真がようやく最後までいきました。
今日は屋外の部。

キャメロンギャラリー



宮殿礼拝堂

そして、庭園を観終わってから、宮殿の方に戻ってきたところで、フルートを奏でている方がいました。

video




2010年10月12日火曜日

Афиша игрока московского ЦСКА

Около станции Йоцуя висит афиша игрока московского ЦСКА.


Сегодня он не выиграл очка.

2010年10月11日月曜日

ザゴエフはダンスが好き

「ツェスカインフォ」というサイトで、女性二人からのインタビューを受けて自ら
「最近ダンスに通っているんですよ」
と言った、20歳のロシア代表MFアラン・ザゴエフ。

今日の「サッカールー」サイトのトップに
Джига Дзаги
という見出しの記事があったけど、写真がなかったらザゴエフのことだと気がつかなかった。

「ジーガ・ザーギ」と読みます。
意味は「ザーガ(=ザゴエフの愛称)のジーグ(アイルランドの民族舞踊)」。
ま、駄洒落ですね。
記事の内容は、「対アイルランド戦で代表初ゴールのザゴエフ、ロシアの若き天才君よ、これからもがんばってくれたまえ」みたいな感じ。
代表では今回先発したけど、ツェスカではこのところ試合の最後の方に出るだけになっていますが。

もっともザゴエフが好きなのは民族舞踊ではなくて、ヒップポップやR&Bだそうです。

*ツェスカインフォ
*Джига Дзаги

執念の修復作業

旅行アルバム、ようやくエカテリーナ宮殿の屋内部分終了。
最後の方は、第二次世界大戦(「大祖国戦争」)でドイツ軍によって破壊された宮殿を修復する様子が写真で展示されていました。

破壊された宮殿の写真

戦時中、レニングラード自体は包囲戦を耐え抜き、ドイツ軍の侵入を阻止しましたが(イサク寺院には被弾の跡が残っている)、近郊のこのあたりはドイツ軍に占領され、このように破壊行為が行われました。
琥珀の間の琥珀はごっそり持っていかれました。
でも、現在はその琥珀の間(ここだけは撮影禁止だった)を含め、ほぼ修復されています。
修復が本格的になされたのは、おそらく最近のことなのでしょう。
割とどこも真新しい雰囲気でした。
特に階段とかは。

こちらは緑の食堂。


2010年10月10日日曜日

琥珀の間とか

写真20枚追加。
琥珀の間に到達。
但し、琥珀の間は撮影禁止。

寄木モザイクの床はエルミタージュでも使われていました。
『サンクトペテルブルクの異邦人』では、床ばかり撮っている人もいたそうで、学芸員の人に
「絵も観てください!」
と言われたとか。


山田実・山田ゆきよ著『サンクトペテルブルクの異邦人 芸術と文化、歌と生活』

チェブが帰ってきた

母の誕生日のケーキを買いに、吉祥寺へ。
実は別の思惑もあったのです。
それは・・・
  ロンロン改めアトレ、グランドオープン記念期間限定チェブラーシカコラボ、これはワッフルケーキのエール・エル。
10個入りワッフルの箱にチェブの帯紙がついて売られています。
(それだけです。中身はいつもと一緒。)

こちらは特製プリンケーキ。チェブラーシカが描かれたケーキ。
一日10個限定。
ちょうど10個目がお買い上げとなり、「本日終了」となったところでした。
完売御礼!

チェブラーシカを初めて観たのは、たぶん親が働いていた劇団の資料室。
もちろん字幕はなかった。
当時のソ連のアニメーションにしては台詞の多い作品だったので、あんまり理解できず(特にシャパクリャークの存在はよくわからなかった)、特に親しみ深いわけではなかったというのが正直なところ。
カチャーノフ作品では「てぶくろ」や「手紙」の方が、子ども心には素直に届いた。

字幕付きで初めて観たのは、この吉祥寺で、バウスシアターのアニメーション特集でだった。
そのときも凄くいろいろなアニメーションを観た、その一つだった。
トルンカの「手」「チェコの古代伝説」、ソ連の文芸作品「この悲しみを誰に伝えよう」等々に心奪われたものだが、一方「チェブラーシカ」の話をようやく<わかって>、嬉しかった。
ゲーナっていい人…じゃなくて、いいワニだなーと感激し、シャパクリャークもなかなか傑作なキャラじゃないかと思いいたった次第。

バウスシアターは、ロシア・旧ソ連やチェコのアニメ、オペラ・バレエ映画、文芸映画、ペテルブルグ特集、SF映画特集等々、よく観に来たものだけど、最近はちょっとご無沙汰している。
他でやることが多くなったからか。
でも、チェブラーシカの原点は、ある意味、ここ吉祥寺なのだ!

今のチェブラーシカブームは、チェブが、チェブのみが、「可愛い」癒しキャラとして突出して売れている感があるけれど、ゲーナやシャパクリャークやレフ・チャンドルも素敵な登場人物、いや一部登場動物なのであって、彼らのグッズももっとあって欲しいんだよな。
と思いつつ、チェブグッズを集めてしまうのだった。

ちょっと前のローソンのお菓子も、だいぶ買ってしまった。
まだキャンディーが山と残っている。

続き10枚

エカテリーナ宮殿の続きの写真10枚を、ウェブアルバムに追加。


まだまだまだまだ続く。
・・・・・・・・・。

2010年10月9日土曜日

対アイルランド戦のロシア

過去14戦で1敗とホームでの公式戦で絶大な強さを誇っていたアイルランドに対し、2-3の辛勝。
とは言え、まあまあの出来、というかかなりいい線いった試合だったでしょう。

★アレクサンドル・ケルジャコフ
いいときはいいんですよね。只今絶好調。くれぐれも、激昂して余計なカードを喰らって試合をぶち壊しという諸先輩方の轍を踏まないように(既に踏みましたが)。

★アラン・ザゴエフ
代表初ゴールおめでとう。
スポルト・エクスプレス紙認定「クラブ100」まであと70の通算30ゴールでした。
怪我で交代したのが心配。マケドニア戦はお休みかもしれません。
あとは、拙ブログ「12の椅子」で翻訳記事をご覧ください。

アドフォカートさんは試合後のインタビューで、

- Что с Дзагоевым?
- Никого не хочу выделять.
- Мы про повреждение, из-за которого он покинул поле.
- (после паузы) Я думаю, он устал. (смех в зале) Сейчас он выглядит намного лучше.
    (訳)
    -ザゴエフはどうしたのですか?
    -彼を抜擢したがらない人はいないでしょう。
    -私たちは彼がピッチからいなくなってしまったことによる損失のことを言っているのですが。
    -(一呼吸あって)彼は疲れたんじゃないか。(笑)今はずっといいようにみえますよ。

なんだあ!あれは仮病、というか仮の怪我ですか。
しょうがない子だ!

★ロマン・シロコフ
最近とみに上手くなったなあ、と感じる。遅咲きですね。

しかし、アイルランドは持ち前の粘りを見せました。
それにしても、ロシア、押し込まれるとばたばたする癖は相変わらずだ。
無駄な失点は後々「あと一歩だったのに」になりかねない。
だからさ、もう…。
何年来こうだから、劇的に変わったりしないだろうけど。

それに、今回は実に
Спасибо, Армения!
だろうと思われる。
アルメニア、90年代生まれの選手がひしめく若いチームだな。
(ヒムキのベレゾフスキーは74年生まれだが。)
フペリョート!

12の椅子 Двенацать Стульев

「オデッサ海岸通り」の10月3日の記事「計画」で述べましたように、サッカー記事の和訳と文法解説のブログを作りました。

ブログの名前は「オデッサ」シリーズでということでしたので、
*オデッサ・イスタンブール
*オデッサ物語
*オデッサ作戦
等々、「オデッサ」がつくものを考えていたのですが、イリフ=ペトロフの小説名からとることにしました。
「12」はサッカーのサポーターナンバーですからね。

最初の記事は、当初予定していたアレクサンドル・メルケルくんではなく、彼よりちょっと先輩の黒髪のMFについてです。

12の椅子 Двенацать Стульев

2010年10月8日金曜日

さらば幼き日の憧れ

イラン代表の選手たちっていうのは、いわば近所のカッコいいお兄さん的存在だったのだ。
幼いころの憧れ。
その中でもひときわ光っていたカリム・バゲリ。
選手たちをランク付けするのは大嫌い。
「ダエイよりも、カリミよりも、アジジよりも、凄い選手だった」
という声があるのは知っている。
確かにそうかもしれない。

それはともかくだ。
最愛のイラン代表選手だったことは確かだ。
今晩のブラジル戦で、一つの時代が完全に終わってしまうのだ、と感じている。
今までありがとう。
これまで何度「やっぱりここはバゲリよ!」と思ったか。
お疲れ様。

でも、気が変わったら、何食わぬ顔で復帰してよ。
絶対支持するから。

朝は朝で、衝撃のニュースが目に留まってしまった。
「理論社が民事再生法申請」

世間的には『兎の眼』や『北の国から』だろうか。
あるいは『北極のムーシカミーシカ』『ぼくは王さま』とか。

私がすごくお世話になったのは「10代の本セレクション いま青春におくるメッセージ」シリーズ。
レフ・トルストイ『愛についての10話』
エルショーフ『せむしのこうま』
ミハイロフスキー『めざめの季節』
コルネイ・チュコフスキー『銀いろの記章』
サムイル・マルシャーク『人生のはじめ』
アレクセイ・トルストイ『ニキータ物語』
ニコライ・チュコフスキー『ぼくのワーリャ』
ネヴェーロフ『タシケントはパンの町』←映画でも観た
コリネツ『おじさんの思い出』
フライエルマン『初恋の物語』
パンテレーエフ『うちのマーシャ抄』
ジェレーズニコフ『父へのひとり旅』
ルィバコフ『おとなへの第一歩』
パノーワ『大好きなパパ』←チュコフスキー絶賛、ダネリヤが映画化(「セリョージャ」)した傑作

クラピーヴィン『風に立つ少年』『兄さんの子守歌』
アレークシン『青春への誘い』『人生のとびら』『家族のゆくえ』
エフレーモフ『アンドロメダ星雲への旅』
カヴェーリン『地図にない町で』
チンギス・アイトマートフ『白い汽船』←アテネ・フランセ「ソヴィエト映画クラシックス」
ノダル・ドムパーゼ『母さん心配しないで』←グルジアジュブナイル。『僕とおばあさんとイリコとイラリオン』『太陽が見える』(こちらは「ドゥンパゼ」表記だ)もよい!
パウストフスキー『ユウカリの大地』
ビアンキ『孤独な森の巨人』『みなしごムルズク』

『トルストイのこどものための本』シリーズ、『マルシャークのこどもの芝居の本』シリーズ。
まだまだ本棚からたくさん出てきそうだ。
お世話になった。

新学期

最近ロシアに行ってきたクラスメイトに貰ったお土産。
「定番のチョコレート」と言っていたが、普通に美味でした。
それに美しい。

裏は説明。

"МОСКВА" "ЦАРЬ-КОЛОРОЛ"
「モスクワ」「鐘の皇帝」
スパシーバ!

さて、授業は各自の自己紹介の後、いきなり始まりました。
前期、課の途中で終わったので、ほんとに途中から始まり。

друзьяのように、 -ья型の複数変化をする名詞の例。
男性名詞(例:друг-друзья「友人」)
 単数複数
主格другдрузья
生格другадрузей
与格другудрузьям
対格другадрузей
造格другомдрузьями
前置格другедрузьях
※複数の語尾にアクセントがある
*「夫」муж-мужья
*「侯」князь-князья
*「息子」сын-сыновья
※複数性格が-ьев、複数の語尾にアクセントがない
*「葉」лист-листья
*「細枝」прут-прутья
*「歯(鋸・歯車などの)」зуб-зубья
*「穂」колос-колосья
*「椅子」стул-стулья
*「兄弟」брат-братья 唯一の活動体

中性名詞(例:дерево-деревья「木」)
 単数複数
主格дереводеревья
生格деревадеревьев
与格деревудеревьям
対格дереводеревья
造格деревомдеревьями
前置格дереведеревьях

このタイプ(非生産的)の中性名詞の例
*重要単語!крыло-крылья(翼)   Крылья Советов「クルィーリヤ・ソヴェートフ」=わが愛するクラブ
*звено-звенья(輪)
*полено-поленья(薪)
*перо-перья(羽毛)

2010年10月7日木曜日

Hamid Alidousti

イラン映画「彼女が消えた浜辺」の“彼女”、タイトル・ロールといってよいのだろう(英語のタイトルは“About Elly”)エリを演じた女優、タラネ・アリシュスティ(Taraneh ALIDOUSTI)。

美女ばっかりのイランの中でも、一際美しい。
非常に若くして国際的評価も得、キャリアも十分にある。

彼女の父親は元サッカー選手でイランでは有名な人物とのこと。

確かに似ているかなあ。
娘は美人女優に、しかし息子は16歳の時に事故死。お可哀そうに。

映画はまさに新感覚イラン映画というもので、チェーホフ劇みたい。
イラン人のやることはロシア人に似ている。
休暇には友人たちと郊外へ(ここではリゾート地にだが)。
サモワールはあるし。
何よりすぐ歌い踊る。
タラネさんをはじめ、準主役のゴルシフテェ・ファラハニーも凄まじく美しく、美男美女惜しげもなく出演させて、なんて贅沢な。

ゲームに「みなしごハッチ」が出てくるあたり、イランへの日本のアニメの浸透ぶりがうかがえる。
Hamid Alidoosti (Persian: حمید علیدوستی , born 1 January 1956 in Tehran) is a retired Iranian footballer and now football coach. He is currently manager of Sorkhpooshan FC in Iran's Azadegan League.
(ウィキペディアより)

2010年10月4日月曜日

東中野

ポレポレ東中野に「アイ・コンタクト」を観に行きました。
<もう一つのなでしこ>たちは、実はロシア代表とも対戦するのです。
対戦後、ロシアのエースストライカーが「健聴者を一緒に練習していたのがよかった」みたいなことを、インタビューで言っています。
あの手話は、英語の手話だったのかな?

ロシアでの手話がどういうものなのか、全然わからないのだけれど、非常に強く印象に残っているのは、セルゲイ・ボドロフの出世作「自由はパラダイス」で、主人公の少年が父を訪ねて三千里する過程で、急に手話をする場面。
相手がろう者だとわかった途端に、すごく自然な感じで。

その「自由はパラダイス」は、ポレポレの前身であるBOX東中野開館記念上映で観たのでした。
「モスクワ-天使のいない夜」もよかった。
「自由はパラダイス」は、今度アテネ・フランセでやる。
懐かしい。
この時代のボドロフはよかったなあ。

10枚追加

ピカサのアルバム「ツァールスコエ・セローとペテルゴフ」に、数日ぶりで写真を10枚追加。

2010年10月3日日曜日

『卵をめぐる祖父の戦争』をめぐるよしなしごと

ハヤカワ・ミステリの新刊(20108月刊)で、1942年レニングラード包囲のときのものがある、と知って、しかもわりと評判もよさそうということで読んでみた、デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』

春に読んだ扶桑社ロマンスの『青銅の騎士』は、やはりレニングラード封鎖から始まるのですが、4分冊と長い割にはすごくがっかりな話だったのです。
(読むと損する!というレベル)。
レニングラード包囲戦は意外とアメリカ人に好まれる題材なのでしょうか。

ベニオフの方はまあまあおもしろかったです。
主人公レフの相棒の文学青年コーリャの造詣が素敵です。
『青銅の騎士』が、ヒロインやその相手が「いい人」で「スーパーマン」的で鼻白むものがあったのですが、レフとコーリャは決して超人的でなく、魅力的です。
まあ、最後の方はまとめを急ぎ過ぎている印象を受けましたけど。
少々ご都合主義っぽく。

でも、訳者がドストエフスキーやトルストイを読んでいたなら、「ナターシャ・ロストフ」とか「ヘイマーケット」とか書かないのでは?といらいら。

ソ連からフランスに移住したフランス人の伝記『ライサという名の妻』の中に
「わたしたちがロストフ・シュール・ル・ドンから来たのだ、と、わたしは母から知った」
という、文体からしていかにも翻訳調というのはともかく、まるでロアール河畔にでもありそうなこの地名は何なの?と絶句したくなることもあったものでしたが、この本での「ヘイマーケット」は、それ以上にがっかりな感じ。
(ロシアプレミアリーグ現在5位ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌの本拠地、ロストフ・ナ・ドヌ(ドン川河畔のロストフ)をフランス語に訳してしまったものです。)
その昔、クッツェーがまだノーベル文学賞をとる前、『ペテルブルグの文豪』の和訳が出て時に、毎日新聞の書評欄に沼野充義先生が「ドストエフスキー所縁の地であるセンナヤ広場をヘイマーケットなんて書いてあると感じが出ない」と書かれていましたが、この本でも直接ドストエフスキーに関係するわけではないのですが、相棒はかなりの文学青年ですし、いかにもドストエフスキーが出てきそうな雰囲気を醸し出してほしいものです。

あと、ヘイマーケットという地名は、実際にシカゴにあって、こちらも結構有名だったのですね。アメリカ最初のメーデーが、ということは世界最初のメーデーが行われた18865月に「ヘイマーケット事件」が起きた場所。
(と、労働法の講義で絶対習ったはずだけど、記憶していませんでした。)
メーデーも、国際女性の日も、アメリカ起源なのでした。

この小説の中の「干草の広場」が、英訳されたもので表記されていようと、シカゴの地名と混同するということはよもやないだろうけど、それでもやっぱり紛らわしいでしょ!

細かいことを挙げていくと、
*61頁に「ペトロ・ハヴロフスク要塞」が2箇所。
「ペトロヴロフスク要塞」の、単なる誤植だと思われる。合成語なので「・」は不要かと。
*「コサック人」
 コサックに「人」は普通付けないよね~。
*「ウシャコヴォ」
 相棒のコーリャが卒業論文のテーマにしたという人物、というが…。
 これは訳者ではなく、原作者の問題である可能性もあるが、「オ」で終わる人名はウクライナ系ではありうる(オノプコとかサチコとか)。
 しかし正に「男性名詞から派生した物主形容詞」の形はロシア的な姓のタイプ。
 でもその「中性形」が姓になるってあるのだろうか?
 地名ではウシャコヴォというのはあるらしい(カリーニングラード州の町(Ушаково)。旧称はブランデンブルク)。
 男性形のウシャコフだと、提督名、それにちなんだ戦艦名があるようです。

それと、ショスタコーヴィチの疎開先のクィビシェフの注が「アルメニア北部の観光地」となっていたのも驚きました。
アルメニアにもクィビシェフという地名がある、またはあったのでしょうか?
でも、ショスタコーヴィチが疎開したのは、ロシアプレミアリーグにて青息吐息で残留争いをしているクルィリヤ=ソヴェートフの本拠地、サマラ(1990年までクィビシェフ)です!
この地であの交響曲第7番『レニングラード』が世界初演されたことも忘れてはなりません。

クルィリヤは昨日の試合では、3点先制しながら終盤に続けざまに2失点。
2点差で勝てたのなら、アムカルを抜いて14位浮上で降格圏脱出だったのに!!!
巻さんよりやっぱりクルィリヤの味方なのだ、私は。

計画

サッカー映画について、「Kocmoc Kocmaのスペース」のリストから独立させて、別のブログに移して書き始めたのが「オデッサ・スタジオ」。
リストにアップせずに書きためていたものも少しあって、一気に30余りの記事を投入。
まだあと少しあるのと、「ベルンの奇蹟」とか「勝利への脱出」とか「少林サッカー」とか「カップ・ファイナル」、ネタはあるけど(観たけど)記事にできていないものも多少あるのと、「アイ・コンタクト」等これから観る予定のものが少々と。
でも、サッカー映画のネタが常時あるわけでもないので、更新はほんの時々になるでしょう。

先週になって、Windows Liveのサービス終了のお知らせが表示され、お引っ越し先のブログが基本英語の説明で使いづらそうだったので、そのまま新しい記事をそこに書くのも虚しい気がして、新しいブログを作って10月からは心機一転させることにしました。

「オデッサ・コスモス」は、「Kocmoc Kocmaのスペース」のロシア・旧ソ連の書籍・映画・演劇・スポーツの情報部分。
ブログを作成する前には、紙媒体(「アムールの春・夏・秋・冬」や「千年の春・秋」)で情報提供していたものです。

日記的な「Kocmoc Kocmaのスペース・ダーチャ」に書いていたようなことは、こちら「オデッサ海岸通り」に書くことにします。

あともう一つ、「千年の春・秋」でやっていたサッカー記事の文法解説。
最近ご無沙汰していますが…あれでもう一つブログを作る予定。
現在取り掛かっているのは、ACミランの新鋭アレクサンドル・メルケルくんのインタビュー記事です。
ブログのタイトル募集中。
どうせだから「オデッサ」シリーズにします。
コメント・メール等で応募いただけましたら幸いです。

夏のロシア旅行のアルバム作成はピカサでぼちぼちやっています。
今週はブログのペレストロイカのため、滞っていたけど。
8日間の旅行中、まだ3日目のエカテリーナ宮殿。

2010年10月2日土曜日

新居

「Kocmoc Kocmaのスペース・ダーチャ」から移住してきました。
10月からこちらに書きます。

ブログの背景の写真は2007年9月に訪れたオデッサの海岸通りです。

今晩はロシアプレミアリーグの試合をだらだら観戦しています。
今はテレク・グロズヌィ対トミ・トムスク。
松井大輔が出ている。

アムカル・ペルミ対ディナモ・モスクワは、ロスタイムに失点してアムカルが負け。
巻さんはベンチ入りしたが、遂に出場機会を与えられませんでした。

アラニヤ・ウラジカフカス対クルィリヤ・ソヴェートフは2-3で我がクルィリヤの勝ち。
結果として辛勝だった。
移籍してきたヤコヴレフが3点目を入れてくれてよかった。