2010年11月26日金曜日

アンドレイ王子

Webアルバム、モスクワ編は、最初の10枚の後、続いていないですね。
今週はたぶんこれまで。

音楽之友社から出た『プロコフィエフ 自伝/随筆集』を読みました。
1964年12月刊行の『プロコフィエフ 自伝 評論』(園部四郎・西牟田久夫訳)の新訳版とのこと。

旧版を読んでみたい衝動に駆られた。
新訳(田代薫)はよくなっているのかどうかわからない。
ベルギー在住の演奏家で、プロコフィエフの本の訳者としてふさわしいとは思えないが、どうしてこの人になったのだろう…。

巻末の作品目録中、オペラ『戦争と平和』の初演データの配役に
「L.ペトロフ(アンドレイ王子)」
とあるんですよ。
アンドレイ王子?!
『戦争と平和』に王子が出てくるか??
訳をした人、小説を読んでいないし、オペラを観てもいないようだ。
たぶん英訳本でプリンスとか書いてあったんだろうけど、アンドレイを王子だと思ってあのオペラを観ていたら、結構な勘違いだと思う。

ロシアの夕刊紙"Вечерная Москва"の訳と思われる箇所が、「ヴェシェルナヤ・モスクワ」だったり、「夕刊モスクワ」だったり、と、訳語の不統一が散見されるところから、もしかしたら下訳をした人が複数いたりするのかもしれません。
しかし、教育人民委員のルナチャルスキーが「ルナシャルスキー」になっていたり、と、どうもчの字を「シャ」行で表記する傾向があって、気になりました。
上記の"Вечерная Москва"も、普通は「ヴェチェルナヤ・モスクワ」になろうかと。

あと、歴史用語にも相当疎いです、この人。
特にロシア革命~内戦期の記述(80ページ)で、
「シベリアを列車で横切ることがどれだけ危険だったかがわかったのは、それから長いこと経ってからだった。あるときわたしたちはチェコスロヴァキア軍隊の貨物車に長いこと移動を阻止された。やっとチェコスロヴァキアを通過することが許されるとすぐに、わたしたちの背後で国境門が閉まった。」
これを読んで、自分でわけわからなくなっていないかと思いました。
シベリアを通っているのに、なぜチェコスロヴァキアか?と疑問に思わないのだろうか。
(どうでもいいのだろうか)
白衛軍、もしくは白軍のことも、「白ロシア軍隊」とか誤解を招きかねないような訳語になっていました。

…こういうところにこそ、註をつければいいのに。

加えて、「原注」が誰の手によるものなのかが明らかにされていないけれど、なんか結構価値観の加わった記述です。
プロコフィエフ財団によるもの?

かなり重箱の隅をつつくような指摘になってしまいましたが、プロコフィエフの作品はちゃんとチェックしてよ、という思いが強いです。
「アンドレイ王子」にショック!

『プロコフィエフ 自伝/随筆集』
『プロコフィエフ 自伝 評論』

プロコフィエフの伝記なら、これが一押しです。
子ども向け。
『プロコフィエフ―音楽はだれのために? (作曲家の物語シリーズ)』

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