2011年5月31日火曜日

あと2試合、あと1勝

ウクライナのプレミアリーグは先日シャフチョール・ドネツクの優勝で、なんというかさして波乱なく終わってしまった。
一部リーグはまだ試合が続いております。
我がチェルノモーレツは2位を保ちながらも、ここ数試合下位クラブ相手に勝てず。
引き分けで何とか勝ち点を積み重ねています。

昨日のチタン戦は久々に大勝。

М Команда И В Н П Мячи О
1 ПФК Александрия Александрия 32 21 5 6 54-23 68
2 Черноморец Одесса 32 17 11 4 52-25 62

3 Крымтеплица Молодежное 32 17 7 8 39-28 58
4 Сталь Алчевск 32 16 8 8 50-29 56
5 ФК Львов Львов 32 16 8 8 46-26 56
6 Буковина Черновцы 32 17 4 11 46-41 55
7 Закарпатье Ужгород 32 16 6 10 50-39 54
8 Арсенал Белая Церковь 32 14 6 12 41-39 48
9 Динамо-2 Киев 32 14 6 12 36-34 48
10 Нива Винница 32 13 8 11 41-41 47
11 Звезда Кировоград 32 11 6 15 41-43 39
12 Днестр Овидиополь 32 9 12 11 38-40 39
13 Нефтяник-Укрнафта Ахтырка 32 10 9 13 38-42 39
14 Титан Армянск 32 11 5 16 30-42 38
15 Энергетик Бурштын 32 10 6 16 29-43 36
16 Гелиос Харьков 32 9 9 14 29-43 36

17 Прикарпатье Ивано-Франковск 32 4 2 26 24-75 14
18 Феникс-Ильичевец Калинино 32 3 2 27 17-48 8


現在一位のFKアレクサンドリアは昇格決定?
2位以上ほぼ確定のようだな。
チェルノモーレツはマジック1か。
あと1勝。
次のFKリヴォフ戦が鍵。
リヴォフは現在5位だが、まだ昇格の可能性あり?

現在3位のクルィムテプリツァは、33節は対ゲリオス(ヘリオス)アウェイ戦。
34節がアルセナール・ベーラヤ=ツェールコフィを迎えてのホーム。


 Украина. Первая лига, 33 Тур
4 июня
суббота

   Титан  Прикарпатье  
   Львов
  Черноморец Од
   Звезда К  Александрия  
   Сталь А  Буковина  
   Закарпатье  Динамо-2 К  
   Днестр  Нива В  
   Гелиос  Крымтеплица  
   Арсенал БЦ  Феникс-Ильичевец  
   Энергетик  Нефтяник-Укрнефть  

Украина. Первая лига, 34 Тур
11 июня
суббота

    Нефтяник-Укрнефть  Гелиос  
   Нива В  Энергетик  
   Динамо-2 К  Днестр  
   Буковина  Закарпатье  
   Александрия  Сталь А  
   Черноморец Од  Звезда К  
   Прикарпатье  Львов  
   Феникс-Ильичевец  Титан  
   Крымтеплица  Арсенал БЦ 

フペリョート、チェルノモーレツ!!!

2011年5月30日月曜日

スーズダリ散策

スーズダリ。
モスクワよりずっと気温は低く、ホテルは暖房が入っていました。
その寒暖の差のせいか、食事のせいか(ホテル・スーズダリの食堂は感じがよかったのだが)、体調を崩し始めたのですが、まだそんなつもりはなく、元気いっぱいで朝の散歩に繰り出しました。

その朝の散歩のときに観た、ホテルの近くの教会が、最も印象的だったと言えます。



激しくうらぶれています。

朝食後、スーズダリ市内を修道院や寺院を観光しましたが、とにかく教会だらけ。






すばらしいの一言です。
ロシアの田舎に来たの、初めてだし、感動。
こういう風景なので、ロシアの時代ものはこのあたりで撮影することが多いそうです。

ロシアユース(U23)

ゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ・モスクワ)が怪我のため、ロマン・エメリヤノフ(ザリャ・ルガンスク(ウクライナ))と交代。
シチェンニコフ、昨日の試合に出ていなかったっけ?

6月5日対スペイン親善試合のための招集メンバー

вратари Николай Заболотный ("Спартак" М), Александр Фильцов ("Локомотив");

GK
ニコライ・ザボロトヌィ(スパルターク・モスクワ)
…ウクライナ代表のアンドレイ・ジカンとスパルタークの正GKを競っている。昨日の試合はゼニットに3失点だったが。
アレクサンドル・フィリツォフ(ロコモチフ・モスクワ)

защитники Тарас Бурлак ("Локомотив"), Максим Жестоков ("Рубин"), Арсений Логашов ("Химки"), Ибрагим Цаллагов ("Крылья Советов"), Никита Чичерин ("Сибирь");

DF
タラス・ブルラク(ロコモチフ・モスクワ)
…ここまでの今シーズンのU21に出世頭。トップチームのレギュラーをほぼ掴んでいる。
マクシム・ジェストコフ(ルビン・カザン)
アルセニー・ロガショフ(FKヒムキ)
イブラギム・ツェラゴフ(クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ)
…クリリヤの弱点は守備でありますが、一朝一夕で改善するものでもないので、地道に頑張ってね。
ニキータ・チチェリン(シビリ・ノヴォシビルスク)

полузащитники Алан Гатагов ("Локомотив"), Роман Емельянов ("Шахтер", Украина), Александр Зотов ("Жемчужина"), Юрий Кириллов, Антон Соснин (оба - "Крылья Советов"), Федор Смолов ("Динамо" М), Денис Черышев ("Реал", Испания), Олег Шатов ("Урал"), Павел Яковлев ("Спартак" М);

MF
アラン・ガタゴフ(ロコモチフ・モスクワ)
ロマン・エメリヤノフ(シャフチョール・ドネツク(ウクライナ))
…私の一押しくん。シチェンニコフに代わって滑り込み。
アレクサンドル・ゾトフ(ジェムチュジナ=ソチ)
ユーリー・キリロフ(クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ)
アントン・ソスニン(クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ)
…クルィリヤを背負って立つ予定の若者ペア。フペリョート!
フョードル・スモロフ(ディナモ・モスクワ)
…フェイエノールトでは「スモール」と呼ばれていたけど、ロシアでは小さくありません。昨日の試合では貴重なアウェイゴールを挙げた孝行息子くん。
デニス・チリュシュキン(レアル・マドリード(スペイン))
…ときどき間違ってお父さんの名前(ドミトリー)と書かれてしまう七光り選手。マドリードではどうなのか私は知らない。
オレグ・シャトフ(ウラル・エカテリンブルグ)
パーヴェル・ヤコブレフ(スパルターク・モスクワ)
…クルィリヤが合っていたんじゃないかなあ。出戻るとそんなに活躍できていないような。

нападающие Максим Григорьев ("Ростов"), Антон Заболотный ("Урал"), Максим Канунников ("Томь"), Александр Кокорин ("Динамо" М).
FW
マクシム・グリゴリエフ(ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ)
アントン・ザボロトヌィ(ウラル・エカテリンブルグ)
マクシム・カヌンニコフ(トミ・トムスク)
アレクサンドル・ココリン(ディナモ・モスクワ)

2011年5月29日日曜日

Iran says Farewell to "The Legend"

イランの伝説的GKナセル・ヘジャジが、5月23日に肺がんのため61歳で天に召されました。

http://www.persianfootball.com/live/index.php?option=com_content&view=article&id=3595:iran-says-farewell-to-qthe-legendq&catid=47&Itemid=100018

この記事によると、彼の娘さんアトオサさんはイラン女子代表のキャプテンということですね。
60歳ちょっとの短い人生。
レフ・ヤシンを想わせます。

Дети Хиросимы (『原爆の子』ロシア語訳)まとめ

原爆の子→ヒロシマの子どもたち

詩人のアンドレイ・ボズネセンスキーさんの訃報が、日本のマスメディア、それもスポーツ新聞のニュースサイトにも載っているというのは驚きだ。
さて、今日は友人から貴重なご本をいただいたので、大変感動しているところだ。
    『原爆の子』長田新編(岩波文庫)のロシア語版 ペチャトヌィ・トラジーツィー社2009年刊
 
"Дети Хиросимы― воззвание мальчиков и девочек Хиросимы" 
ロシア語訳はマリヤ・キリチェンコ。
 岩波書店のホームページの記載によれば、この本は「エスペラントをはじめ十数カ国語に翻訳され」たとあるが、被爆から65年経とうという時期になってようやくではあるが、核保有国ロシアで出版されたというのは大きな成果だ。
あの人たち、時として、原爆は姿勢を低くしてやり過ごしましょうくらいにしか認識していないようなところがあるから。
昨年夏にインドネシア語版が出来、来年あたりにはフランス語版が出される予定とのこと。
ん?フランス語版もまだだったのか。
残念ながら、このロシア語をすらすら読めるというわけにはいかないので、日本語版を参照しながら、読み進めたいと思う。
それにしても、貴重なご本をありがとう!!
▼『原爆の子』訳本についての補遺(1990刊岩波文庫による)
1.エスペラント訳 1952年(抄訳) 訳者名は明記していない(協会による共訳か?)
2.ノルウェー語訳 ハルディス・モーレン・ヴェスアース訳 1961年オスロ
3.デンマーク語訳 キルステン・ブロストローム訳 1962年コペンハーゲン
4.ドイツ語訳(ドイツ民主共和国) 1966年フォルク・ウント・ヴェルト社、ベルリン 訳者名は明記していない。
5.英語訳 英文『原爆の子』刊行委員会(代表・福島要一) 1980年アサヒ・イーヴニング社、東京
6.英語訳 1981年テイラー・アンド・フランシス社、ロンドン 訳者名は明記していない。
7.英語訳 1981年エルゲシュラーゲル・ガンアンドハイン社、ケンブリッジ・マサチューセッツ 訳者名は明記していない。
(6.と7.は5.の訳本。いずれも長田新先生が1960年に作成していた英語版原稿を基にしている。)
8.ドイツ語訳(ドイツ連邦共和国) 1981年レーデルベルク社、フランクフルト・アム・マイン
9.ドイツ語訳(ドイツ連邦共和国) ヘルマン・フィンケ訳 1982年オットー・マイヤー社、ラーヴェンスブルク
10フィンランド語訳 ヴァプ・タイペイル訳 1984年ラステンケスカス社、ヘルシンキ
11ギリシャ語訳 1985年ボウコウマニス社、アテネ
12中国語訳 彭家声、張光珮、彭浩訳 1990年北京大学出版社、北京
13スウェーデン語訳 中島香子、ヘレナ・エリクソン訳 1990年予定、ストックホルム
14ロシア語訳 エレーナ・レージナ訳 刊行予定
1990年の岩波文庫刊行時には、上記のような具合だった。
(意外と北欧諸語の訳本が多い。そして、フランス語はやはり未訳だったのだね・・・)
レージナによる訳は何らかの事情ででなかった、ということなのだろうか?
核保有国の言語であるという意味で、ロシア語訳ができたのは意義深いと上で書いたけれど、「日本への原爆投下は、日本の軍国主義を敗北させ、アジア解放に役立った」と信じている人が多い、とも聞く、アジアの人たちに読んでもらうためにも、アジアの人たちの言葉でもっと訳されてほしいようにも思う。
その意味で、昨年刊行されたというインドネシア語版も、たいへん意義深いものであろうと思われる。

Дети Хиросимы


品薄状態だった『原爆の子』がワイド版岩波文庫で刊行される。
ロシア語訳についてのお話を数か月前に書いたが、まずは日本語でしっかり読みなおそう。
朝日新聞別刷りGlobe「世界の書店から」の「夏の3都市特集その2モスクワ「大祖国戦争」とロシアの女たち」には、長田新編『原爆の子』の翻訳出版会が6月にモスクワの大手書店で行われたと書かれています。『原爆の子』のロシア語訳"Дети Хиросимы― воззвание мальчиков и девочек Хиросимы"については、以前「原爆の子→ヒロシマの子どもたち」で紹介しました。
*長田新編ワイド版岩波文庫『原爆の子ー広島の少年少女のうったえ 上』『原爆の子ー広島の少年少女のうったえ 下』


2011年5月29日補遺
 当初刊行予定であったエレーナ・レージナさんによるロシア語訳は、レージナさんが志半ばで亡くなってしまったため、頓挫。
 後にキリチェンコさんによるロシア語訳がようやく完成、ロシアでも刊行。
 日本ではナウカ・ジャパンを通して入手することができます。

 丁寧な注釈もついており、Аяториあやとり,Фусумаふすま,Бэнтоべんとうなどの説明も興味深いです。

アイスクリームを舐めながら

昨日の静岡ダービーでの、二人の未成年者によるゴトビさんへの「誹謗中傷」行為、実は相当頭にきているのです。
でも、できるだけ冷静になろうと心掛けます。

彼らは「考えないでやってしまった」と言っているそうです。
確かに、熟慮してやった行為ではなく、浅はかであったことは明白なんだけど、結構手間暇かけてつくった横断幕のようなので、全く何も「考えないでやってしまった」行為というわけでもない。
エスパルス監督のゴトビさんを貶める意図があったことは明らか。

ただ、彼らがゴトビさんに対して「つくるな」という「核兵器」が、最大生産国であるアメリカ(ゴトビさんは現在アメリカ国籍所持者である)の核兵器なのか、核兵器製造疑惑下にあるイラン(ゴトビさんはイラン出身で、エスパルスの監督に就任する前はイラン代表の監督だった)の核兵器なのか、については、この際確認しておきたいところです。

とは書いたものの、うすうす感じてはいる。
彼らはきっと、ゴトビさんがイランに生まれ、79年のイラン革命時に亡命し、アメリカ国籍を取得した、というバックグラウンドを知らなかった、知ろうとしなかったこと、「イラン=悪の枢軸」という西欧側の言説を鵜呑みにしたものであるということ。
そして、聞きかじったイランの核兵器製造疑惑を、そのままただイラン出身だという相手チームの監督に結び付けた愚かな行為だったということ。

彼らにとって、イランのイメージがこういう貧しいものなのだと知らされたのが、イランびいきの私にとっては一番悲しい。

また、「核兵器つくるな」というメッセージが、こういう文脈の中で使われたというのも、すごく悲しい。
アメリカにせよ、イランにせよ、もちろんイスラエルにもフランスにもロシアにも中国にもパキスタンにも、「核兵器つくるな」と言ってしかるべきだ。

ベラルーシ出身のジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは、「戦争の被害を描いた映画を、若者たちがアイスクリームを舐めながら観ているのに戦慄した」と書いていました。
第二次世界大戦最大の犠牲を出した旧ソ連でさえ、「今の若者」はそうなっている、でもそれは半ば納得できるのでした。
’世界最初の被爆国’日本でも、被爆体験の継承は、多くの人々の努力にもかかわらず、やはり風化していっていると感じざるをえないのですから。

かの未成年者たちも、本気で「核兵器をつくるな」と考えているのなら、おそらくこういう悪い冗談レベルでこのフレーズを引っ張り出してくることもなかったでしょう。
この点も、非常に残念なことです。

追記
横断幕を掲げる行為に及んだのは、未成年者2人に留まらないようです。
フーリガンまがいのファン組織が関わっており、仮に未成年者2人にのみ処分で終わるならば、単なる蜥蜴のしっぽ切りになるでしょう。
ジュビロそのものへの恨みはありませんが、ここは再発防止のために最低でも勝ち点剥奪くらいの厳正な処分をするべし!

趣旨には賛成だが

「核兵器つくるのやめろ」


大賛成です。
戦争反対!
核兵器反対!

ただし、それは核兵器をつくっている人に言うべきことでしょう。
アメリカ大使館前でオバマさん宛にそういう行動を起こした、というなら、大いに尊敬しますよ、ジュビロサポーターさん。

アフマディネジャドさんに?!
いや、あの人は言ったって逆効果かもしれませんからねえ。

スポーツから政治は排除できない。
それに、全面的に排除すればいいということでもないだろう。
と、私は思った。
生まれ故郷ニシェが、自分が生まれた病院が、爆撃されたのを知って、ピクシーがアンダーシャツに「NATO STOP STRIKES!」と手書きし、それを観客たちに見せてアピールした時に。

でも、今度のジュビロサポーター(と名乗る人)のアピールは…。
違うだろ、言う相手が!
の一言だ。

ゴトビさん、ごめんね。
せっかく日本に残ってくれているのに。

セカンドステップ

ロシア語を勉強していて、一番辛かった、というのだろうか、いらいらしたのは、始めてから半年くらい経った頃。
入門の文法を一通り終えて、何を覚えればいいのかが、よくわからなくなった、というのがその理由。
要は、「一通り終えた」文法事項をしっかり固めていくべきなのだけれど、元来こつこつ型でないもので、地道な復習作業しかないとなると、気持ちが暗くなってしまう。
それでも、「お誕生日おめでとう」とか「よいお年を」とか、ちょっと難しいフレーズがすらすら出てくるようになった、くらいの小さな喜びを見つけて、何とか乗り切った。
(のは、教わった先生方、一緒に学んだクラスメイトたちがとてもいい人たちで、授業に行くのがいつも楽しかったおかげだ。)

そういうわけで、ロシア語のセカンドステップの重要性については、身にしみてわかっているつもりだ。
いまだにそこから振り返ってやり直そうと試みる。

『ロシア語セカンドステップVol2.名詞の変化マスター』
現在のNHKラジオロシア語講座入門編の講師をされている源貴志先生の新著。
ラジオ講座は、最初の発音編が細かく丁寧でありがたかった。
その後の対話編に入っても、短いながらしっかり学べる講座として重宝している。
応用編の方が、どうも自分には合わなそうなので、入門編を主にしようとしている。
その源先生のご著書なので期待大であった。

1.致命的な校正ミス?
25ページのзанятиеと27ページのзданиеが「女性名詞」になっている!
えーーーーー????(しばし呆然)
何かの冗談か?
女性名詞として説明がつくのだろうか?と考え込んだが、それはやはりбессмысленное задание(意味のない作業)であった。

2.慣れないためか、使い方がよくわからない
どういう学習者を念頭に置かれているのだろうか?
少なくとも、「始めて半年」くらいの、入門を一通り終えたばかりの人には、なかなか使いこなせなそうな気がする。
というか、私自身がどう使えばいいのかわからない。

3.(2.と重複するが)意味不明な表記が多くて、格変化の視覚的イメージがしにくい
・硬変化をHard、軟変化をSoftと表記している理由がわからない。

とか軟とか書いていてくれた方がわかりやすいのに。(これも慣れの問題かもしれないが)
活動体について❤に、正書法適用のものについて爆弾マークにしているのはわかるが。

4.(またまた重複してしまうが)どの段階の学習者を対象にしているのか不明だが、例文がどうも適当でないような印象
*Артист он был исключительный всесторонний.
芸人として彼は抜きんでていて、向かうとところ可ならざるはなかった。
(7ページ)
Артистが文頭にあるのは、「芸術家(と私なら訳す)として」と最初に提示したいからだろうか?
ちょっと変則的な文章ですね。

それにしても、すみません、日本語訳の意味がわかりませんでした。

でも、慣れれば案外重宝するのかもしれない。
サッカー記事を訳す時に、辞書とともに手元に置いて、書き込みをして、愛用している『必携ロシア語変化総まとめ』も、最初のころは使い方がわからなくて、「黒田先生に買わされちゃったけど(←被害妄想)お金の無駄だったかも」と後悔したものでした。

*『ロシア語セカンドステップVol2.名詞の変化マスター』
*『必携ロシア語変化総まとめ』

2011年5月28日土曜日

本日のいただきもの

*『子どもの本の歴史』上・下
J.R.タウンゼンド著高杉一郎訳岩波書店1982年刊
高杉先生の労作の一つ。

*『ゴルバチョフの2500日』
秋野豊著講談社現代新書1992年刊

*『宮本百合子と十二年』
不破哲三著新日本出版社1986年刊
森まゆみ著『女三人のシベリア鉄道』がおもしろかった、与謝野晶子はともかく、林芙美子と宮本百合子は読んだことないけど(芙美子の『放浪記』は森光子主演の舞台をだいぶ前に観た)、と感想を暑中お見舞いに書いたら、恩師(世界史)から「あなたが百合子を読んでいなかったとは!」とご返信が来てしまった。
あー、もしかして、百合子って必読だったの?じゃ、読まなきゃ。
と、そのときは思ったけれど、まだ読んでいないや。先生、ごめんなさい。

*『ユートピアの手紙 世界文学からの20の声』
沼野充義編著河出書房新社1997年

*『ゼロから始めるイタリア語』
浦一章著三修社2000年刊

*『無限の相のもとに』
埴谷雄高・立花隆著平凡社1997年刊

*『バルカン・ブルース』
ドゥブラヴカ・ウグレシィチ著岩崎稔訳未来社1997年刊

スーズダリの朝の散歩

スーズダリは、モスクワやペテルブルグに比べて涼しかった。
が、ホテル内部は暖房しているせいで暑かった。
しかし窓を開けると、蚊など虫が侵入する。
というので、我慢。

朝、ひんやりする外。
ホテルの近くを散策。





2011年5月26日木曜日

スーズダリの朝

クルィリヤは大敗するし、オデッサはいま一つ調子を出せずにスコアレスドロー。
いかんなー。

ウェブアルバム・スーズダリ編。
ホテル・スーズダリは旧ソ連的なイメージの横に長いホテル。
川を渡ったスーズダリ郊外にあり、いかにも不便そうな旧ソ連的な佇まいのホテル。

しかし、景色は良かった。
教会だらけなのがわかる。



今晩の試合

ACL
ゾブ・アハン対アル・ナスル
開始後分でゾブはもう2点とっている。
早っ!

ロシアプレミア第2節順延分
クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ対ツェスカ・モスクワ
もう失点しているよ。
あのGK,まったく信用ならん。
(というよりDFに若さが出た、いつものことだが。)
でも、なんとか勝ってくれないとなー。
勝てば最下位脱出なのだが。

ウクライナ・カップ決勝
ディナモ・キエフ対シャフチョール・ドネツク
宿命の対決。
まあ、どっちでもいいから、いい試合を。

ウクライナ一部リーグ
ゲリオス・ハリコフ対我がチェルノモーレツ・オデッサ
前半終了で0-0
このところあんまり勝っていないがなんとか昇格ラインの2位を保っている。
3位との勝ち点差は2.
勝て!!!

あー、最悪。
Чудовищная ошибка Концедалова!
クルィリヤ、前半終了前にまた失点。
今季こそ、の覚悟を決めねばならないのか。

結局、クルィリヤは0-3で負けました。
すごいカードの数だ。
あっちもあほなことに退場者を出しているが。

そして我がチェルノモーレツはスコアレスドローでした。
最近調子が出ないな。

2011年5月25日水曜日

ロシアの田園風景―いよいよスーズダリへ

セールギエフ・ポサードからスーズダリへ、ひたすら田舎の道をバスは走る。
途中一回休憩でアレクサンドロフ?のホテル前で止まる。

 バスを降りてあたりを眺めてみても、うらぶれた街並み、普通に犬の散歩したりする人がいて…という限りで、特に言うことはないのだけれど
実はここも、イヴァン雷帝ゆかりの古い町で、教会やお城があるそうです。
何の説明もなかったけど。
まあ、普通訪れるようなところではないかもしれません。

その後もひたすら田舎の風景を走ります。道だけ立派。

 なのに、鉄道を横切るときには、列車が来て、踏切待ちするという…。

そして、午後9時過ぎ、スーズダリに到着。



田園風景の中に、教会が林立。

 夕食後、さすがに日が暮れていました。満月。

ホテルは、この田舎町のメインストリートはおろか中心からはるかに離れた、川を越えた鄙びた場所にありました。
(上の建物ではありません。)

こんなところにいらっしゃるとは

トローイツキー・セールギエフ修道院内の、一番古い建物、ウスペンスキー聖堂は、驚いたことに中の撮影ができるのです。
(モスクワのクレムリン内の教会堂内部はもちろん撮影禁止です。)



修道士の棺が安置してあります。
自分で作っておくそうです。
(といっても、遺骨は入っていない。)

正教の礼拝は立って行うので、礼拝堂内に参列者用の椅子は一切ありません。
信者たちはイコンに深く頭を下げ(地につくほど下げる。膝を曲げずともそれをしてしまう姿に驚愕)、ろうそくを捧げます。



ところで、ちょっと、というか、だいぶ驚いたことに、モスクワの町の中ではなかなか会えなかった御方にここで会えました。

そっとしておいてくれって感じでしょうか。

それから、お写真を撮るのは控えたのですが、この修道院を出たところ(ウスペンスキエ門の前)で、黒髪のいかにも東洋人風の顔立ちの修道士の方がいらっしゃったのでした。
あら、もしかしたら、と思っていると、先方もおや?と思ってこちらを窺っている様子。
そちらから話しかけてくださったのですが、やはり日本人の修道士なのでした。
かなりお若い方です。
普段はお茶の水のニコライ堂にいらっしゃるのですが、この夏「やはり正教の本場に」ということで、このトローイツェ・セールギエフ修道院に修道に来られていたとのこと。
しかも、「二日後には帰国する」という絶妙のタイミングで、お会いすることができたのでした。
おそらく充実した修道生活を送られたのでしょう。
とてもいいお顔をしていらっしゃいました。
それでも、日本語がそろそろ懐かしくなられていたのかもしれません。
かなり多弁でした。
「生きた教会は、ここにあるのです」と力説し、「どうぞ、ほんとうの正教会をご覧になって行ってください」と薦めてくださいました。
(こちらはもう修道院のお参りを済ませてきたところだったのですが。)
先生(と、正教の聖職者にもそう呼びかけるのかどうか存じませんが)、どうもありがとうございました。
この地でこのようなありがたき出会いを用意してくださった尊きお方にも、感謝とお礼を捧げます。
短いながら、すばらしい訪問になりました。
君にもあえて嬉しかった。

2011年5月24日火曜日

無罪までの長い日々

3月の判決言い渡し予定が震災のために延期になり、ようやく今日、布川事件の再審で、水戸地裁土浦支部が、ショージとタカオこと桜井昌司さんと杉山卓男さんに無罪判決の言い渡しがありました。

日弁連ではないですが、無罪は当然、ではあってもやはり喜ばしい。
これまで頑張ったお二人に、支えてきた多くの方たち、おめでとうございます。

あの震災の直前に、試写会で「ショージとタカオ」と観ました。
その前には名張ぶどう酒事件についての映画「BOX」も観て、そのとき桜井さんはご自分の事件についてのことを訴えにいらっしゃっていて、簡潔にお話しくださったのが印象的です。
名張事件の弁護団の方もいろいろレクチャーしてくださったのですが、警察や検察が、犯人を読みあやまるというのはあり得ることだとしても、証拠をでっちあげたり、工作したりというのが、本当にあるものなのか?と、そのときもまだ信じ難かったものです。

布川事件といえば、歌手の佐藤光政さんがずっと支援をしてきて、映画「ショージとタカオ」にも最初の方の集会の場面でちらっと出てくるのですが、最近表にはさっぱり出ないのはどうしてなのでしょうか??

トローイツェ・セールギエフ修道院の猫

やっとここまで辿り着いた!

鐘楼の写真を撮り、


トロイツキー聖堂をお参りし、
外に出たところで、私が一目散に走り出したので、周りの人を驚かせてしまったのだが。

さっきの鐘楼の写真の下のほうをよーくご覧ください。

 ↑
ベンチの下ですよ。

やっぱりロシアと言えば猫でしょ!
エルミタージュも猫!
修道院も猫!

それでは、トローイツェ・セールギエフの猫をご堪能ください。






2011年5月23日月曜日

トローイツェ・セールギエフ修道院

なかなか猫まで行かない。




ロシアカップ決勝メモ

ЦСКА
ОСНОВНОЙ СОСТАВ

35. Игорь Акинфеев
4. Сергей Игнашевич
6. Алексей Березуцкий
14. Кирилл Набабкин
24. Василий Березуцкий
10. Алан Дзагоев
17. Павел Мамаев
21. Зоран Тошич
22. Евгений Алдонин
8. Сейду Думбья
9. Вагнер Лав

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ
1. Сергей Чепчугов
2. Дейвидас Шемберас
7. Кейсуке Хонда
19. Александр Цауня
25. Элвир Рахимич
26. Секу Олисе
89. Томаш Нецид

ТРЕНЕР
Леонид Слуцкий

シチェンニコフが怪我なので(来週には出られるそうだが)、U21はザゴエフだけか?

Алания
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
1. Дмитрий Хомич
36. Дмитрий Грачев
23. Антон Григорьев
4. Аслан Дудиев 1990/06/15
7. Роланд Гиголаев 1990/01/04
2. Ибрахим Гнану
6. Семен Булгару
20. Акес Дакоста
75. Марат Бикмаев
18. Джамбулад Базаев
11. Неко

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ
22. Давид Гиголаев
46. Альберт Цховребов
15. Аслан Машуков
17. Тарас Царикаев
19. Георгий Гогичаев 1991/01/16
14. Ацамаз Бураев
70. Вандиньо

ТРЕНЕР
Владимир Газзаев

アラニヤ、残念。
ELに出場するのはリーグ戦7位のトミ・トムスク?

2011年5月22日日曜日

いただきのリサイクル本

*『1800冊の「戦争」 子どもの本を検証する』
読書研究会編かもがわ出版1991年刊
参考:『世界の子どもの本から「核と戦争」がみえる―教科書に書かれなかった戦争Part28』
長谷川 潮,きど のりこ著梨の木舎 (1997/12)

*『解体ユーゴスラビア』
山崎佳代子著朝日選書1993年刊

*『東欧 再生への模索』
小川和男著岩波新書1995年刊

*『日本の司法文化』
佐々木知子著文春新書2000年刊

*『世界シネマの旅』1-3
朝日新聞日曜版「シネマCINEMAキネマ」取材班著朝日新聞社1992-1994年刊
1には「戦艦ポチョムキン」「誓いの休暇」「灰とダイヤモンド」、2には「旅芸人の記録」、3に「ノスタルジア」「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」「ざくろの色」

2011年5月21日土曜日

ヤー・ドゥーマユさん

黒田龍之助先生のご著書に追加。
『大学生からの文章表現 無難で退屈な日本語から卒業する』ちくま新書2011年2月刊

このブログでは実践していない(単なる日記なので他人におもしろく読んでいただこうというサービスをする必要を感じない)が、
*「思う」を使わない
の大原則は、普段書く文章(仕事上や、手紙・メールなど)ではできるだけ守ってきたつもりだ。

しかし。
と、再び逆接語を入れる。

ロシア語を話すときは、「思う」と言ってしまっていいのである。
というのは、それを恐れていると何も話せなくなるからで、且つ「私、思うんだけど…」と言っている間に、言うべきこと・返答を考える、つまり時間稼ぎに使えるので、大いに活用するべしなのだ。

という話も、実は黒田先生が元ネタです。
但し、である。
「でもあんまり何度もヤー・ドゥーマユ、ヤー・ドゥーマユって言っていると、ロシア人たちにヤー・ドゥーマユってあだ名をつけられてしまいますからね!」
*Я думаю,(ヤー・ドゥーマユ)
*Мне кажется,(ムニェ・カージェッツァ)
*По-моему(パモーエム)
の3種類は使いこなさなきゃいけませんよ!!
…というお達しでした。

自己紹介でも、
「私は大学生です」「私は長野県出身です」「私は7月28日生まれです。星座は獅子座です」
と、「私は…です」の連続だと、とっても単調。
(英語だとI am…や I'm…の連続になるし、ロシア語はbe動詞にあたる動詞は現在形では使わないもののヤー…、ヤー…のリフレイン。)
それは避けるよう、気をつけましょう。
*適当に文型に変化を持たせる(S+V+Cばかりでなく、S+V+Oも混ぜるとか)
*主語を変える(視点を変える)
こんな話を『ロシア語を話しましょう』の第1課を習ったときにおっしゃっていたと記憶しています。

例えば、

「昨日は動物園に行ってきました」
*Вчера мы ездили в зоопарк.
*Вчера мы были в зоопарке.

「私は秘書です」だと
*Я -- секретарь.
*Я работаю секретарём.

「大学生のころはサッカーをやっていました」だったら、
*Когда я была студенткой, я иногда играла в футбол.
*Я была футболисткой, когда я училась в университете.

等々。

ところで。
「私、思うんだけど」と、「思う」を最初に持ってくるのは、ロシア語などヨーロッパの諸語では一般的でも、日本語ではやや不自然です。
サッカーファンには有名な「トッティ王子の小咄」シリーズの「うそを言うと消える鏡」編で、前段としてデルピエロ、インザーギが
「自分は世界一…だと思う」
としゃべり、トッティが「思う」「考える」と言った途端に…というオチが生じるのは、イタリア語では「我思う」部分が文頭にくるからこそ、なのであって、そこの自然な日本語訳は難しいですね。

と、とりとめのない話になってきたので、いきなり終了。
(「逆接の助詞「が」を多用しない」原則も難しい…)

やっとセールギエフ・ポサード

2010年8月23日クレムリン周辺→モスクワニューシティがようやく終了。
「黄金の環」のセールギエフ・ポサード(旧称ザゴールスク)へ。
ここではトロイツェ・セールギエフ修道院しか行っていません。

最初の15枚。
修復中のウスペンスキエ門



やはり修復中の門上プレッテーチェンスカヤ教会


入場料のほかに撮影料(写真・ビデオ)を支払うと、聖歌のCDをいただけます。