2011年7月23日土曜日

低開発の記憶・ロシア編

ヒロインがなかなか出てこない。
ナボコフの『ロリータ』がその典型だろうが、ゴンチャロフの『断崖』でも、ヴェーラが登場するのはストーリーも半ばにさしかかった頃。

それまでに主人公ボリス・ライスキーの情熱遍歴(←恋愛遍歴ではない)として、ナターリヤ、ソーフィア、マルフィンカ。
型にはまった筆致が長々と続く。

ライスキーがあほっぽくて笑える。
芸術家気どり。
ちょっぴり才能はあれど努力は嫌なので何事も中途半端で終わる。
そのくせ惹かれた女性を指導してあげたくなる。
あれですね、『低開発の記憶』。
でもゴンチャロフの地が出ているようで微笑ましくもあるんだ。
ライスキーが書いたという小説が冗長で実に面白くなくて、ここまですごいと笑えます。
『断崖』自体がそうなので、ゴンチャロフはむしろ開き直ってしまっているのですね。
潔くてよろしい。
登場人物は変人と言うのではなくて、ゴンチャロフの書き方が変。

あるいは訳がもはや時代にあっていないのかもしれません。
クラシカルで味がある、ともとれるのですが、タチヤーナ・マルコヴナが孫ヴェーラに辛い告白をし、赦しをこう場面、ヴェーラ曰く
「お祖母さん」…「あんたは私を赦してくれたのね、…だけど私がどんなにあんたを愛しているのか、分かってくれるの」云々。
(ここでヴェーラはタチヤーナ・マルコヴナに対してвыからтыに呼び方を変えるのであるが。)
しかし。

祖母に向かって孫が「あんた」はないでしょう。
ありえない。いくら親しくても。
ちなみこの井上訳では、タチヤーナ・マルコヴナ(祖母)はヴェーラ(孫)に対して「お前」と言う。
うちでは家族間(夫婦兄弟間)で「お前」は決して使わず、私自身両親や祖父母から「お前」と呼ばれたことはない(「あんた」もない)ので、タチヤーナ・マルコヴナの「お前」は違和感はあるのですが、家庭によっては親しみをこめて「お前」と呼ぶとのこと。
だからこれは仕方ないのでしょう。
それでも、言いませんよね、お祖母さんを「あんた」とは?
だいたい日本語では上の人に向かって二人称代名詞を使いませんね。

『断崖』、退屈だけどおもしろい。
でも、長ーい!(全5巻)
登場人物はだいたい型にはまっていて行動が予測できます。
落語か狂言を観ているような小説。
それにしては長いけれど。

ゴンチャロフはこの手の小説を長々と時々書いていたのでした。

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