2011年11月26日土曜日

写真は語る

『原発事故20年 チェルノブイリの現在』は、イタリアの写真家(本業は歯科医)ピエルパオロ・ミッティカの写真集。

直前に読んだ『チェルノブイリの森』が、ジャーナリストというよりむしろ学者のような、原発に対し断固反対とは主張しない、かなり抑制的な、慎重な筆致であったのに対し、こちらはモノクロの写真の迫力で強く反原子力を訴える。

『チェルノブイリの森』は、日本語訳版では原典にない写真や図表も補充されているとのことだが、それでもビジュアル要素は少ない。
こちらで取材した場所が、『チェルノブイリの現在』に写真が掲載されているので、こんなところだったかと確認できてよかった。
汚染図も、嫌というほど載っている。

『森』では、巷で喧伝されているような各種の疾患が原発事故の放射性物質のためにもたらされたのだとは、子どもの甲状腺癌以外は証明されていない(それを証明するのは至難)としていたが、『現在』で(そして「チェルノブイリ・ハート」などのドキュメンタリー映画では)実際正視するのがとても辛い子どもたちの姿(胎児も・・・)を示されると、文字通り言葉を失ってしまう…。
神様、私たちは何という負の遺産をこの子たちに背負わせてしまったのでしょう。
私たちは、何と祈ればいいのでしょうか。
Простите нас...

ロシア語を学んでいて、最も直接「役に立つ」分野は、チェルノブイリ被災者支援だろう。

と思いながらも、私は今までそれに手を差し伸べず、関わろうとしなかった。
クラスメイトからチェルノブイリの写真展に誘われたら行って観て、カレンダーを買ったことがあったり(毎年ではない)、そんな程度。
元来エコロジストとはいいかねるので、反原発とかはっきり態度を決めたわけでもなかった。
(イラン人が原発を持ちたがるのも一理あるのでは、と思うと、全面的に反対とは言えなかった。)
だけれど、そんなことでよかったのだろうか。

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