2011年11月13日日曜日

ドストエフスキーを巡る映画と翻訳と女性についてのメモ書き

ドストエフスキー作品の映画化は、言うまでもなく沢山ある。今回の児島宏子さんのレクチャーは「白」のイメージから『白痴』と『白夜』に絞ってのものだった。

児島さんのお話は、ドストエフスキーの生涯や原作の文学作品の紹介から始まったので、映像を観る時間があまり持てなかったのが残念だったが、特に『白痴』については、59年のプィリエフ、2003年のボルトゥコ(TVシリーズ)、51年の黒澤の3作品の、それぞれ冒頭部分を続けて鑑賞したので、比較対照することができ、おもしろかった。

この3作品の他にも、
*ジェラール・フィリップ主演のジョルジュ・ランパン監督作品(1945年フランス)
*カール・フレーリヒ監督作品(1920年ドイツ:未見)
*坂東玉三郎主演のアンジェイ・ワイダ監督作品(1994年ポーランド)
がある。
(他にもあるかもしれない。)

ボルトゥコのTVシリーズは最近IVCから日本語字幕付きのDVDが出ているが、児島さんが見せてくださったのはロシアで出ているDVDで(当然日本語字幕はない)、他の作品のようにムィシュキンとロゴージンが汽車で出会うところからではなく、トーツキーとエパンチン将軍がナスターシャの身の振り方を本人を前にして相談している場面から始まり、ムィシュキン演じるミローノフがちらりとでも出てくると、早速やはりこれはDVDを買って全部観たい!と思い始めていたところ、友人が「IVCのDVDにはトーツキーと将軍の密談場面はなくて、やはり汽車の出会いの場面から始まっていたような気がする」と発言したので、もしかしたら日本語字幕付きのそのIVCのDVDは省略があるやもしれず、確認してから購入検討にはいることにした(どうせなら完全版が観たいし)。

プィリエフのは、「プィリエフ作品集」みたいなセット(「カラマーゾフの兄弟」「白夜」+「シベリア物語」)で欲しいな。
演劇調+ミュージカル風味(夢想と祝祭場面)の、意外と明るく大衆的なドストエフスキーが観られて、結構好き。

「白夜」の方は、楽しみにしていたプィリエフ作品(先日観て、もう一回観たいと思った)は観られず、ヴィスコンティ作品の冒頭を鑑賞。
マストロヤンニ演じる主人公の夢想家はイタリアっぽく洒脱な青年で、その町に来たばっかりでまだなじめていないが上司に可愛がられている様子で少なくとも原作のような引きこもりっぽくはない。
改めてみると、全然白夜ではなく普通に暗い夜じゃないか(←イタリアだから白夜にはならない)。
ラストでは雪なんか降るしね。

この他の「白夜」映画化作品は
*1935年ソ連カヴァレフスキー作曲「ペテルブルグの夜」(『白夜』他数編の短編を元にした作品)
*1960年ソ連
*ロベール・ブレッソン監督1971年フランス
いずれも未見。

「白夜」に入る前に、近年人気の亀山ドスト訳及び亀山ドスト解釈について話題になった、というか痛烈な批判が展開されたのだけれど、早く「白夜」を観たかったので、議論があんまり白熱しないでほしいなと思いながら聞いていた。
(訳はある程度好みもあるから何とも言えないけど、解題や続編空想に関しては、亀山先生のそれらにはついていけないなあ、と感じることが私も多いが、シネクラブという場なので、翻訳の議論については今はいいやって思ったのです。)
でも、児島さんが指摘したかったのは、黒澤の読み込みの深さであり、それを指摘した『黒澤明で『白痴』を読み説く』の的確さなのだろう。
実際、今回は冒頭のみだったけれど、黒澤の「白痴」を再度観て、凄さを改めて感じた。

*見せていただいた資料の中でも『ドストエフスキー・アルバム』はよかった。写真が豊富で見てわかるドストエフスキーであるが、持ち歩くにもよい大きさ・厚さ。残念ながら絶版で入手困難。
*フォメンコ工房が「白夜」を舞台化し、連日満席の人気演目となっている。観たい。
*言われればそうかと思った、ドストエフスキーのエイゼンシュテインへの影響(特に「イワン雷帝」のウラジーミル:『白痴』のムィシュキン)
*ドストエフスキーを巡る女性について、後妻のアンナを良妻であると評価し、先妻のマリヤや愛人のスースロワを黙殺ないし悪しざまに言う者が多かったけれど、再検証の必要はあるだろう。

という、昨日の夜。終わったら、ロシアB代表とリトアニアの親善試合も終わっていた。
疲れていた。昨日のうちに書いておきたかったけど。

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