2011年12月10日土曜日

あなたなんか知らない(2)

割合どうでもいいことだけれど、「東欧」と並んで、私なら使わないという言葉その2.
それは「海外」。

「海外で活躍する日本人選手」などと、日本や日本人が主体となっている話題で使う限りでは、「海外」でもおかしくはないのですが、アレクサンドル・メルケルのようにドイツ→イタリアとか、ジャヴァド・ネクーナムみたいにイラン→スペインのようなケースで「海外」というのには違和感を持つのです。
(仮に誰かが使っているのを見たら、「間違いだから訂正せよ」と要求したりはしないけど。)

「外国で」とか「国外で」とか、もう少し汎用性のある言葉を使うことにしています。

さて、今日イグナチオ教会の前で、何人かの人たちがキャンドルを手にし、横断幕などを持って集まっていました。
「平和といのち イグナチオ9条の会」という、初めてみる団体でした。
今日、チラシを配っていたのは、今日が9日だったからなのでしょうか。
それとも、12月10日が国際人権デーだからなのでしょうか。

配っていたチラシ

カトリックの人たち、立ちあがっているんだ。

でも…ベネディクト16世の「私にもわからない…」は落胆させる言葉ですね。
天災だけではなく、戦乱・飢餓・不条理としか言いようのない試練に、私たちの先達は何とか答えを探し続けてきたのではなかったか。
ヨブ記を引き合いに出すまでもなく。

主よ、私をあなたの平和の道具にして下さい。
私を憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
争いのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらす人にして下さい。
(アッシジのフランチェスコによる平和の祈り)

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