2011年12月23日金曜日

クラフトの人たち

親戚筋から展覧会のチケットが回りまわって私のところへ。

「秋岡芳夫展 モノへの思想と関係のデザイン」
目黒区美術館で12/25まで。

目黒駅西口を降り、目黒の商店街を通って目黒川の方に下ってゆく道すがら
「目黒にこんなすごい男がいた」
という垂れ幕がそこここに下がっていてなかなかの迫力です。


チラシによると、秋岡芳夫さんは、童画家、工業デザイナー、生活デザイナー、木工家、プロデューサー、道具収集家など、多彩な顔を持つ方だったといいます。
まあ芸術家なのですけれど、その中でも「クラフトマン」と名乗ることが多い、ウィリアム・モリスみたいな、生活密着型のデザインを常に心がけ、社会にも大いに働きかけていた人です。

まず入ってすぐの展示室は、何百ものお手製竹トンボ、それに秋岡邸の作業場・居間等、作業机や道具の数々の展示(「目黒ドマから―秋岡芳夫のメッセージ」)。
秋岡氏の「樹の器」シリーズや特注の引き出し(中に小刀等彼が使った道具が入っている)とともに、参考作品として奥さん制作のクッション(大阪での万国博覧会のコンペで落選したデザインを使用)、それを載せている友人制作の椅子(座れます)。

さらに目につくのは宮崎珠太郎制作の「大籠」。
真竹を丸のままつぶして編んだ豪快な籠は、竹工芸家宮崎珠太郎(1932~)の手によるものです。
竹の力強さと同様、手の力や体力なしには編むことのできない品と言われます。
秋岡芳夫は「彼の持っている道具の中で一番素晴らしい道具は何だろうかと考えた。それは多分、彼の手、彼の指ではないかと私は思った」「仕事ぶりはただひたすらに野太く、またたけだけしい」と、宮崎珠太郎を紹介しています(「道具拝見④竹編み 宮崎珠太郎」より)
この籠は、ものを創り出す力と、竹を編む細やかで力強い指の力、どちらも兼ね備えた稀有な職人よって生み出されたと言えます。
(以上の青字部分は展示の説明文を写したものです。参考作品なので、出品目録や図録には載っていなかった。)

そう。
この再現されたドマ(土間とDOMA(家)をかけたものだろうか?)を眺めて、いくつか懐かしく思い出した光景があった。
一つは大森に訪ねた黒田龍之助先生のお宅。
お母様のセンスではないかと思ったのだけれど、モダンな、でも実はレトロかも、というテイストの調度品(なかんずく状差し)が印象深かった。
それを突然思い出してしまいました。
それから、熊本の親戚の家。
この展覧会のチケットは元々そこから回ってきたもので、そこも工芸家なので道具と作品に囲まれたアトリエがあって…去年訪ねた時撮った写真を探してみたけれど見つからない
見つかったらアップするかも。
さらに、リューダさんが晩年に移られた富士山の麓のお宅。
私はリューダさんがお持ちになった写真でしか拝見したことはないけれど、コースチャくんは実際にそこを訪ねたことがあるのでした。
何とも羨ましい。
こだわりの邸宅だったのです。
黒田先生(のお母様)、熊本の親戚、リューダさん。
これらの人たちと秋岡さんとに共通するのは、アート系、デザイナー、うーん、それよりやっぱりクラフトの人たちという言い方が一番ぴったりくる気がする。
それと、堀内誠一さん。


秋岡さんと堀内さんとは、「とにかくすごい」ということと、児童文化に執心しておいでだったことに、大きな共通点があります。
ただ、堀内さんは工業デザインは殆ど手掛けていなかったと記憶しています。
その点秋岡さんは“男の子魂”が旺盛な作品が多いので、この展覧会も、昔男の子だった諸氏にお薦めなんじゃないかな。
チェコスロヴァキア映画に出てくるような、レトロかっこいいというか、レトロ可愛いともいうか、ラジオ・カメラ・バイクなどときめきの品々が、2階にあがってすぐのところで観られます。
きわめつけは学研の「○年生の科学」の、あの付録群。
ずらりと並んでいて感動モノです。
北海道や鳥取の「辺境」の町でのものづくりに大きく関わったというのも特筆すべきことでしょう。

この展覧会は25日までですが、巡回はしないのかしら?

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