2012年1月7日土曜日

懐かしい響き

片づけが年末にはできず、年が改まってからになっています。
それもあんまり捗っていないけど。
片づけていた中で発掘されたものの中に『ふらんす2008年4月号』がありました。

ここでは、黒田龍之助先生が林田遼右先生と“子弟”対談されています。
楽しい。

林田先生の講座(私自身がフランス語を学んでいたわけではなく、親が林田先生と同郷だったので声を聴くためにラジオをつけていたのだ)、笑い声の絶えない楽しい講座だ、と記憶に残っていました。
「私のノルマンディ」「さくらんぼの実る頃」「人生は美しい」などのシャンソンを知ったのも、林田先生の講座でした。
これら“今月の歌”は、テキストのストーリーに合わせたものでした。
4月最初のダイアログは「これは○○です」「ではあれは?」のような単調なものになりがちですが、林田先生の講座は最初からわくわくする対話なのでした。
確か、俳優と付き人が舞台の袖で出番の直前に小道具の確認をして
「ステッキはどこ?」
「ほら、これです」
「あと、帽子は?」
「こちらですよ」
みたいな会話をしていたのではなかったか?

黒田先生も、林田先生の楽しい講座を大変参考にして、ご自分の講座をなさっていたそうです。
(→こちらを参照
ですから、この対談はそれこそ“世紀の対談”です。
お二人とも楽しげで話が弾んでいます。
もっともっとロングバージョンが読みたい、聴きたい。

何より、黒田先生も林田先生に憧れていたことが嬉しいです。

黒田先生と同様に、「林田遼右先生のラジオ講座がかっこよくて、非常に憧れて、フランス語以上に先生に憧れてラジオ講座を聴いてい」た(きっかけは多分に偶然だったのだが)私も、第二外国語はフランス語を履修したのでした。
ただ、私が大学生の頃にはフランス語講座は林田先生ではなくなっていたようで、フランス語にのめりこむということはなく、試験直前の勉強だけで成績はAを取ったけれど、その後は全く思い出すこともなく、すっかり忘れてしまいました。

ジーマ・スィチョフがマルセイユに移籍した時に、大学の教科書を引っ張り出してみると、なんとアルファベットの読み方すら忘却していてかなりショックでした。
且つ、ジーマは比較的短期間でフランスからロシアに戻ったので、フランス語の学習が再開されることはありませんでした。
さらに、ツェスカからセマクがパリ・サンジェルマンに移籍した時は
「フランス語を知らなくても試合の結果くらいならわかるだろう」
などと手抜きを覚えてしまって、やはりフランス語を学び直すことにはなりませんでした。
(セマクもフランスではぱっとしませんでしたが、ルビンに移籍してからロシア代表に復帰し、クラブと代表で大黒柱となります。)

林田先生、ごめんなさい。

懐かしんで当時のNHKラジオ講座のテーマミュージックを探してしまいました。


スペイン語とドイツ語はあんまり覚えがないですが。
ロシア語!
これでしょ!この鈴の音。
ロシアっぽくてよかった。
何で変えたんだ?!
(今は頻繁にテーマミュージックを変えすぎだという気がする。リピーターがその講座に愛着を持てるように、固定した方がいいのでは?)
中国語、鉄板!
これしかない。これ(ターラー、ラララララー)と「今日の料理」(タッタラタラタラ、タッタッター)と、敢えて加えればラジオ体操の音楽を知らない日本の人はいないのではないか?
で、フランス語。
おしゃれだった。
でも、当時放送が夜の12時直前だったから、聴くとちょっと催眠作用がある・・・。

8 件のコメント:

  1. はじめまして。
    林田先生のファンでした。なつかしいです。わたしは落ちこぼれてしまいましたが、あの番組だけは本当に楽しかったです。ブログでちょっと紹介させていただいてもよいでしょうか?ご迷惑でしたら削除しますので・・・http://d.hatena.ne.jp/waki_fabre3/20120616

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    1. wakiさん、こんにちは。
      迷惑だなんて、全然!
      林田先生のファンとお近づきになれて嬉しいです。

      楽しかったですね、あの講座。
      テキストや録音を、とっていたらよかったと思います。
      (捨てていないのかもしれないけれど、見つからない。)

      wakiさんがブログで書かれていたジョナス・メカスのことば
      「いつか人はすべてを失うのだから、無理にものを捨てることはない」
      なるほどと思いました。

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  2. ありがとうございます。これからも時々遊びに来ますのでどうぞよろしくお願いします!

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  3. こんにちは。なんとはなしに「林田遼右」のキーワードでgoogleしてみたらここへたどり着きました。このような気持ちの人々がいらっしゃったとは。。。。驚きです。
    私は1978年~1985年の8年間の4クール分のテキストを今も全部保存しています。3クール目の「Les Arbres Chantent」は全放送をカセットテープに録音して保存してあります。

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    1. tacoさん、こんにちは!
      おお、林田遼佑先生のファンがさらにいらっしゃった!
      感激です。
      しかも、

      >私は1978年~1985年の8年間の4クール分のテキストを今も全部保存しています。3クール目の「Les Arbres Chantent」は全放送をカセットテープに録音して保存してあります。

      とは、凄い。頭が下がります。
      NHKテキストは国会図書館にも所蔵されていないそうですから、
      "アヤシダ"ファンからすると、まさに垂涎のコレクション!
      とっても貴重なものですね。
      羨ましい…。

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  4. 最近はテレビしか見なくなったのでラジオがどうなっているのか全く分かりませんが。

    今でこそNHKの語学番組も芸能人が進行して、K-POPが流れたり、海外アーティストや映画監督のインタビューをしたり、ドラマの一部が流れたりとバラエティー顔負けになってしまいましたが。

    当時は語学番組といえば、テレビもラジオも“授業”を流すだけでしたから、あのような講座は斬新だったと思います。

    というより、あのまったりした空気感は、今も昔もアヤシダワールド固有の空間ですよねぇ。

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  5. こんにちは。私も帰省の折、本棚に林田先生のラジオ講座のテキストを見つけ、懐かしく思い、wakiさんのページを経てこのページに辿り着きました(残念ながら、当時録音したテープは探しても見つからず、処分してしまったようです、、ジョナス・メカスさんのことばが胸に染みます)。私は当時高校生で、本屋でたまたまテキストを見て、かわいい挿絵に惹かれ、聴きはじめたような覚えがあります(1985年度)。tacoさんのコメントにもあるように、今でこそ、NHK講座は楽しく学べるように、それぞれに工夫を凝らしていますが、当時としては本当に画期的な番組だったように思います。特に、チユリーさんとシルビィさんが日本語で林田先生とおしゃべりするのがすごくよかったと思います。チユリーさんの、はにかんだようなかわいらしい日本語、シルビィさんの明るくチャーミングな日本語に、とても親しみを感じました。せっかくネイティブの講師なのだから、といって、フランス語をしゃべってもらうことにこだわらなかったのは素晴らしかった、と思っています(外国語オンリーだと、何だか単なるロボット扱いみたいで、、、)。

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    1. ユッピーさん、こんにちは。
      コメントをありがとうございます。

      アヤシダ人気、根強いですね。
      ほんとに先生の講座は楽しかったですね。画期的でした。

      テキスト、カセットテープ、見つからないと悲しいですよね。
      ほんとにあの講座は保存版だったのに…。

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