2012年1月7日土曜日

名前を呼んで

前項の『ふらんす2008年4月号』72-73ページの連載「フランス人の名前」の第1回「新しい名前のレシピ」、買ったときにも読んだはずだけれど、再読してなかなかおもしろいことが書かれていると再認識しました。

ここで「名前」とあるのはギヴンネーム(ファーストネーム)、ロシアでいうとイーミャのこと。

日本ではよほど親しくないと名前では呼び合わない。
苗字だけ名乗って、苗字+敬称で呼ばれることが多い。
だから、外国のTV番組(視聴者参加型の)で、司会者が一般人の番組参加者に名前(ギヴンネーム)を尋ね、「そうですね、ルーシー」「では、フレッド、こういうのはどうでしょう?」などと名前を呼んでいるのを見聞きすると、結構な違和感を持つのです(いかにも“あちらの番組”って感じ)。

しかし、この「レシピ」文によれば、
「ファースト・ネームで呼ばれることが、必ずしも親密さを表さない」
というのです。
「フランス人にとって、ファースト・ネームが個人の特定につながりにくい、「匿名性の強い」呼び名である」
そうだったのか。
言われてみればそうなのだけど、とても新鮮な指摘でした。

名前(ファースト・ネーム、イーミャ)は、従来その人を他者と異なる“個”として捉え、その子の個性を尊重する、親が子とそういう関係性を結ぶためのものではなく、一族の誰かの名を継承し、守っていくものだった。
決められた枠内(聖人の名前のリスト)から選ぶのだから、限られた名前を大勢が共有することになる。
よって個人の特定につながりにくい、匿名性の高さがファーストネームにはある、ということになるのです。

このエッセイでは、この前提が近年急速に崩れ、今や新しく作られた名前(外国名の借用が多いが)がフランス人が子どもにつける名前の上位を占めていると紹介しています。

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