2012年3月6日火曜日

レフ・ネット

『囁きと密告 スターリン時代の家族の歴史』下巻331ページ以下、ノリリスクの労働収容所で1953~1954年に起きた大規模な囚人蜂起についての記載の中に、レフ・ネットによる証言が記されている。

レフ・ネットはモスクワ出身、民族的にはエストニア系。
1944年よりエストニア・パルチザンとして活動し、ドイツ軍の捕虜収容所に入れられたため、ソ連では脱走兵扱いとなり、1948年に「外国人のスパイ」としてノリリスクの労働収容所に収監される。

ここで武装蜂起が起こり、ネットは各地区間の連絡係として働く。
多くの死者を出し、蜂起は鎮圧される。
が、収容所制度の維持が困難となって、政府は囚人を釈放し始める。
その中には、スパルターク・モスクワのスター選手であったスタロスチン兄弟がいる。
(『ロシア・サッカー物語』12ページによれば、スタロスチン兄弟の流刑が解かれたのは1954年であった、とある。)

ノリリスクには三男のアンドレイが収容されており、レフ・ネットは収容所内の秘密サークル「民主党」で彼とともに学び、闘い、非常に親しくなった。
(もっとも、レフ・ネットは元々彼の存在を知っていた。レフの弟イーゴリはディナモ・モスクワユース出身ながら、スパルターク・モスクワのMFとして活躍していた、あのスター選手(ソ連代表のキャプテンでもあった)のイーゴリ・ネットだったから。)

レフ・ネットは、アンドレイ・スタロスチンから「必要なことを行え。そして、自分がなすべきと信じることをなせ。そうすれば、道は開けるだろう」と言うレフ・トルストイの言葉を教わり、ノートに書き留め、生涯の指針とした。

レフ・ネットがイーゴリについて語ったインタビュー記事(動画あり)(2010年のもの)
Лев Нетто: я многому научил своего брата (видео)

「メモリアル」サイトのレフ・ネットの記事
Лев Нетто: «В ГУЛАГ я пришел сам»
Лев Нетто: «Лозунг «Свобода или смерть!» вдохновлял и объединял людей, но Демократическая партия смерть отвергала»
「われわれのスローガンは『自由か、死か』だった」

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