2013年1月4日金曜日

映画初め

昨年末から思っていたとおり、映画初めは「愛について、ある土曜日の面会室」になった。
原題は「ひとりは持ちこたえよ、そうすれば後に続くものが出るだろう」"Qu'un seul tienne et les autres suivront"というのだそうだ。
ニェプローハだけれどハラショーにはちょっと足りない。

ちなみにロシア語のタイトルは”Нам бы только день простоять..”(.私たちが一日だけでも持ちこたえれば…)

3つのストーリーの絡みは全くなく、登場人物の背景が謎なまま、「で、どうなるのだ?」と結末もオープン。
わかりやすいハリウッド映画的なものを期待していたわけではないので、全て説明せよとは言わないが、どれもこれも納得せずに終わったなあ。
俳優たちはそれぞれとても達者なので、背景をもっと丁寧に描いて欲しかった。
(フランス人には説明なしにこれを理解できるものなのだろうか?)

例えば、自称アレクサンドル、本名ダミアン某の若者。「ロシアの習わしでは~」と女の子を誘い、不法移民(らしき)生活を真面目サッカー少女ロールに垣間見せる。
…けれど、全然ロシア人じゃないでしょ!
もし、不法滞在者だとしたら、ルーマニアあたりか?
結局何者?
この若いカップルは、ダルデンヌ兄弟の「ある子供」でジェレミー・レニエらが演じた、頼りなげなあの恋人たちに重なる。
(ピエールは「ロゼッタ」に出てくるワッフル屋さんに相当。)

被害者の母と加害者の姉が交流する話も、同じくダルデンヌ兄弟監督「息子のまなざし」やファティフ・アキン「そして、私たちは愛に帰る」を観た後だと肩透かしに思える。
ここでは敢えてあんまりドラマチックに盛り上げないようにしたのかもしれないが。

「入れ替わり」のエピソードは、レダ・カテブやディナーラ・ドルカーロワが好演したにもかかわらず、要らなかったという印象を受ける。
これを省いて他の二つを丁寧に描いた方がよかった。
というより、ばらばらに3つのエピソードを並べるやり方が、この作品ではどうも消化しきれていないのではないか、一つ一つ掘り下げればよかったのに、と思ってしまう。それぞれ素材はいいのだから。

ダルデンヌ兄弟の場合、細身で華奢な若者・少年にはぽっちゃり逞しげな少女・女性と組み合わせるのが鉄板だけれど、この作品はドルカーロワにしろデルフィーヌ・シュイヨーにしろスリムできつめの女性を登場させていて、全編癒し系がいないのだった。
(「ジョルダーノ家の人々」で癒し役だったファリダ・ラウアッジもここでは緊張感を持たせる役どころだ。)

そうそう。
「オデッサ・コスモス」では«面会室のディナーラ»と書いたけれど、彼女には(この作品中では)面会室シーンはなかった。

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