2013年6月16日日曜日

改革派と強硬派への失望

ハサンという名前の人がイランの大統領になったのは初めてではないか?

初代:アボルハサン・バニーサドル 1980年2月4日~1981年6月22日
2代:モハンマド・アリー・ラジャーイー 1981年8月2日~1981年8月30日(暗殺)
3代:アリー・ハーメネイー(現最高指導者) 1期目1981年10月13日~1985年8月16日、2期目1985年8月16日~1989年8月3日
4代:ハーシェミー・ラフサンジャーニー 1期目1989年8月3日~1993年8月3日、2期目1993年8月3日~1997年8月2日
2009年の選挙でアフマディネジャドさんに敗れ、今回の選挙は事前審査で失格。
5代:モハンマド・ハータミー 1期目1997年8月2日~2001年8月8日、2期目2001年8月8日~2005年8月3日
6代:マフムード・アフマディーネジャード 1期目2005年8月3日~2009年8月3日、2期目2009年8月3日~2013年8月3日任期満了

На президентских выборах в Иране победил реформист Роухани
На президентских выборах в Иране победил представитель иранских реформистских кругов Хассан Роухани, сообщает Reuters .
ハサン・ロウハニさんは過半数の票を獲得し、決選投票にはならず、ストレートで当選。
このまま不測の事態が起こらなければ、8月に大統領就任予定だ。

核問題の交渉者として国際的な知名度は高い、保守穏健派。
無論改革派ではない。
理系の非聖職者でポピュリストだったアフマディネジャドさんから、ターバンを巻いた聖職者のロウハニさんへ。
3代くらい前の路線に戻ったという感じか。

ハータミーさんの2期での改革が進まなかったこと(この時代、アメリカ大統領が不幸にも聞く耳を持たないキリスト教原理主義者のジョージ・W・ブッシュであり、ハータミーさんの唱えた「文明の対話」はなわれなかった)は大きな失望を生み、アフマディネジャドさんの強硬路線にも閉塞感を覚えたことから、「保守穏健」に落ち着いた、といったところ。

アフマディネジャドさんは、サッカーファンで応援はしていたけれど、有効な強化策をバックアップしたとは言えない。
むしろイランサッカーのマネジメント力は酷く落ちていると言わざるを得ない。
ロウハニさんはサッカー好きかどうかわからないけれど、彼のようなネゴジエーターがサッカー界にも出てきて欲しい。

アジア最終予選の最終戦にあたって、相手国の監督からいろいろ挑発を受けているが、そんなのに乗ってはいけないからね。

Чой Канг Хи: "Я хочу победить Иран"
«Если говорить по правде, мне больше всего не нравится Иран (чем Узбекистан). Надеюсь, что Узбекистан выйдет в ЧМ»
この記事はウズベクサッカーのサイトなのだが、ウズベクの人はこれを読んで何を思う?

試合前のあれこれは煽りなんだからいちいち反応していてはいけないよ、ケイロスさん。
ネコさんもあまりしゃべらない方がいい。
試合に集中しよう。

ただ、今からこうだと、韓国との試合がフェアに行われるのだろうかと大いに疑問を感じる。
で、そういうときに現在のイランのサッカー協会は頼りにならないのだ。

という意味ではロウハニさん歓迎。




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