2013年7月24日水曜日

正しいことくらい強いものはありません

電子辞書を買ったということは既に書いたことがあっただろうか?
入院していた叔父が、電子辞書のワンセグTVを使っているのを見て、便利かもしれないと思った。
でも私が買った電子辞書はワンセグTVがついているものではなくて、購入のポイントは野鳥の鳴き声が聴けるというもの(マヒワの声なんか聴くと楽しい)。

さらに、この電子辞書には「日本文学1000作品」というのも入っていて、電車の中などで読書もできる。
自分ではなかなか手に取らないような、有島武郎だの泉鏡花だのが入っているのだ。
さらに「日本文学」と言いつつ、日本語で書かれたという意味なので、森鷗外の訳したアンデルセンの『即興詩人』だの、上田敏の『海潮音』によるヴェルレーヌだのが読めるという、なんともありがたい仕様なのだ。

昨日はレオニード・アンドレーエフの『ラザルス』(93ページ)を帰りの電車の中で読んだ。
このラザルスって、福音書に登場するラザロのことなんだね。
岡本綺堂訳で、おそらくフランス語あたりからの重訳なのだろう。
ラザロがラザルス、マリヤがマリー。
今日の行きの電車ではトゥルゲーネフの『あいびき』。
言わずと知れた二葉亭四迷訳。

さらにさらに、
フョードル・ドストエフスキーの『鰐』(森林太郎訳)
レフ・トルストイ(但しレオ・トルストイと表記されている)『イワンの馬鹿』(菊池寛訳)
アレクサンドル・プーシキン『スペードの女王』(岡本綺堂訳)
も収録されている。
確かに日本文学化したロシアの作品だ。
ロシア文学として味わうのなら、もっと新しい訳で読んだ方がいいと思う。

著者目録に「文部省」とあるので、何だろう?と思ってみると、それは『あたらしい憲法のはなし』。
「こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。」
「こんな戰争をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありませんでした。」
「戰争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰争をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰争のあとでも、もう戰争は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ〱考えましたが、またこんな大戰争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の國がけっして二度と戰争をしないように、二つのことをきめました。」
「これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことくらい強いものはありません。」
「もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、けっして戰争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということきめたのです。」
「また、戰争とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰争の放棄というのです。」
(「戦争」は「戰」だけでなく「争」もほんとうは旧字です。)
こんなのが、電子辞書に収蔵されていて、電車の中や仕事で出た先の窓口で待っている間に読めてしまうのだ。

まあ、素朴な、焼け跡民主主義、焼け跡の平和希求だと、今この地点からみると思えるだろう。
「こんな戰争をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありませんでした。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。」
この小冊子はそういうが、戦争被害というのも、当時の国民に等しく振りかかったものではなかったし、なぜ戦争が起こったのかと言えば、やはりそれで儲かる人、利益を得る者がいたからこそだと、私は思っている。
(且つ、戦争後の日本は彼らの責任を追及することがなく、ここまで来てしまったのだとも思っている。)

スタジオジブリ刊行の小冊子『熱風』2013年7月号が、特集「憲法改正」ゆえに評判になって、店頭ではもはや入手困難であるため、特集の原稿4本が全文緊急配信されることになった(PDF、8月20日18時まで)。

その4本とは
・「憲法を変えるなどもってのほか」宮崎駿
・「9条世界に伝えよう」鈴木俊夫
・「戦争は怖い」中川李枝子(←『ぐりとぐら』『いやいやえん』の作家です)
・「60年の平和の大きさ」高畑勲

高畑さんの文が長い(というより編集部注が長い)!
それぞれ熱い、この夏に熱い、それこそ熱風なのだが(さっきから「熱風」と打とうとして「ネップ」になってしまうのはどうしたことか。新経済政策じゃないよ)、読んでみて「火垂るの墓」を最初に見た時のような戸惑いを覚えた。
彼らの熱い思いをそのまま受容できずにどこか理が勝ってしまって「それならこうすればよかったのでは」と言ってしまう、あの感じだ。

特集の中に、もっと若い世代のクリエイターの文章が欲しかった。

勿論この方々の思いを受け止めたいとは思う。
ただ、今の人が普通に戦争とか平和とかいって思い浮かべるのは昔の日本の戦争より今(あるいはほぼ今)の、イラクやアフガニスタンやではないだろうか。
昔のあの戦争のことだけ語っていると、どこかずれてしまうのだ。
昔の日本の戦争下で起こったようなことがそのまま繰り返すとは若者たちは信じていないけれど、どうかすると経験者の語り口は「忘れないで、繰り返さないで(とここまでは真っ当な訴えだ)、忘れて油断すると同じ事が起こるに違いない(いや、それは信じられないね)」なのだ。
悩ましい。

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