2014年1月28日火曜日

同志ワトソン

「シャーロック・ホームズとワトソン」TVシリーズ全11話を観終わった。

ホームズ役のリヴァーノフはわにのゲーナの声の人。
ワトソン役のソローミンは「冬のチェリー」に出ていた俳優。

あと、ゲストにはニキータ・ミハルコフやらオレグ・ヤンコフスキーやらイリーナ・クプチェンコ、インノケンティ・スモクトゥノフスキーなど相当豪華な顔ぶれが。

天才的で大変人の主人公に、常識人の秀才の友人、という組合せでことにあたって万事解決!
ホームズは凄い才能の持ち主だけれど、皮肉屋で女性が苦手(ハドソンさんは別)で、思いっきり変な人で、カール・マルクスみたいなもの。
ワトソンさんはエンゲルス。
常識的で、上流階級の社交場にも出入りする。もてそう。
ホームズさんには偉い兄さんがいて(浅見光彦か?)、ワトソンさんには問題児のお兄さんがいたという。

このシリーズ、ワトソンさんの方が主人公のように見える。
それだけソローミンにはお得な役柄だったろう。
(ついでながら、第一話に登場する女優がソローミンの奥さんだ。)

でも最後にワトソンさんがいつになく深いことを言う。
(原作にこの場面があるのかどうかは知らない。)
「昔はよかったよな。」
それは単に、欲得という動機のはっきりした個人的な犯罪を追って犯人をつかまえていたから。
でも、ホームズさんは一旦引退したのに愛国的な理由から復帰を余儀なくされたわけだけど、ワトソンさんが述べるに「自分の都合で戦争を起こす上流階級の連中のことは理解できない。」「これらの人たちに比べたら、以前の犯罪者たちは可愛いものだ。」「その身勝手さにおいてはドイツの人もイギリスの卿も変わりはない。」
ホームズさんは「そう悲観するな。20世紀は始まったばかりだ。」と慰めるような言葉をかけるが、ワトソンさんは「私や君やハドソンさんで(戦争のような世界を巻き込んだ大犯罪を)止められるだろうか?」とつぶやかずにはいられない。
懐疑的ではあっても、きっと彼らは精いっぱいのことはするのだろうが。
(しかし現にワトソンさんは軍医として召集されている。)
「そう悲観するな」のすぐあとに、年代を示す(暗号になっている)金庫の番号は1914で止まる。
今から100年前。
大戦が始まる。
ああ、ワトソンさん・・・。

2014年1月27日月曜日

カレンのチグラーシャ

渋谷駅からちょっとある(13番出口からは信号渡ったビルの8階だけど、JRの改札からそこに行くまでちょっとある、と言う意味)ヒューマントラスト、あんまり馴染がなくて、せっかくロシア映画をやっていても行きそびれていたことがあった。
それが「エターナル」で、後に大阪まで観に行くことになり。
その後も足を運ぶたびにしぶしぶなのだ。
今でも何だか親しみの沸かない映画館だ。
(化粧室がとても狭い。東中野のあそこより狭い。手洗いが個室内にあるのに、ペーパータオルが出口付近にあるという不思議。)

昨日はまた重い腰を挙げて、シャフナザーロフを観に行った。
彩プロ系戦争映画なので、案の定ミリタリーなおじさんたちが何となく集まる中、チェブラーシカのチョーカーなどバッグにさげていると肩身が凄く狭い。

この上映企画自体、「未体験ゾーンの映画たち」という、いわばキワモノ特集で、この映画館は以前のシアターNみたいな位置づけになったらしい、と予告編を見ながら思う。

さて、その「ホワイト・タイガー」であるが、やっぱりシャフナザーロフ作品なので、言ってみればリアリティーのある戦場ファンスチカ。
おもしろくなくはないけれど、皮膚感覚からするといただけないというか、人に勧められる作品とはどうしても言えないものだった。
(私は未だに「ゼロ・シティ―」の良さがわからない。)

まず簡単なことから書くと、
①美形は一切出演していない
(主人公があれじゃあなあ・・・。)
②戦車は沢山出るけれど、ミリオタはあれで満足できるだろうかは疑問
 実は、ミリタリー系には関心なく知識も皆無の私であったが、偶然“クルスク戦車戦再現”みたいなTV番組があったので予習して行った。戦車の前面がドイツ側のティーガーは分厚く垂直、対するソ連側のT-34はティーガーほど厚くないが斜めにして強度を増していると番組で言っていたので、辛うじてどれがティーガーなのかわかった次第。
③主人公ははっきり言って電波系。
④戦友同士の友情とか、終戦時の高揚感もなし。

でも、繰り返すけれど、おもしろいといえばまあまあ、眠くならない程度にはおもしろい。
マイナー映画の要素満載なのに、日本公開にこぎつけるとは、その点、現モスフィルム代表シャフナザーロフはさすがだと思う。

2014年1月26日日曜日

「サポーター法」発効: The Voice of Russia

ロシアで「サポーター法」発効、競技場で乱暴を働いた者は7年間スポーツ観戦禁止: The Voice of Russia

遅きに失した感もある。
この前のユーロ本大会で、ロシアのサポーターは問題を起こした。
今度同様の問題を起こすとユーロ予選で勝ち点剥奪になる。
初めてのことではないから。

グラナトくん

渋谷(チェコ)

春日(中国)

中国映画は久しぶりだった。
典型的な「抗日」作品だが、変な日本語の台詞(バカヤローダナーとか)が入ってそこは興ざめ。
日本人の台詞だとしても、別に中国語のままでいいのにな。
地雷戦教育映画なので、ストーリーはどうということはない。
再上映の可能性が限りなく零に近い貴重な上映会だった。

家では「シャーロック・ホームズとワトソン」シリーズを観た。
甲高い声でわかったが、ニキータ・ミハルコフがゲスト出演している。
イリーナ・クプチェンコも。

2014年1月21日火曜日

毎日聞いていたのに

大学の第二外国語のごとく、というのだろうか。
結構忘れていた。

高校時代の友人が、わざわざCDを送ってくれた。
何かって言うと、下校の時に放送委員会が流していた音楽。
前期は固定で、後期はその年の3年生が編集していたものだったそうだが(資料の構内新聞のコピーも入れてくれていた)、それによると前期の曲目は

1.Over The Rainbow~雨に唄えば
2.哀しみのソレアード
3.ペイネ愛の世界旅行
4.I’m Coming Home
5.詩にたくして

3年間のうちの半分、1年半聞き続けていたのだから、しっかり覚えているだろう、と思ったのに、聞いてみたら・・・。

強烈に覚えているのは2.と5.(←5.については確か後期の年ごとに変わるのでもラストに必ず使っていたはず)だが、1.なんかえ?これそうだった??というくらい覚えがない。勿論曲としては知っているのだが。

高校時代は楽しかった。
あまり勉強はせず、友人たちとのおしゃべりに時間を費やしていた。
下校の音楽が鳴り終わった後でもおしゃべりを続けていて、見回り当番の先生に「さあ、早く帰れ~!」とよく怒られていた。
(注:「早く」部分は三連符である。)

でも今それを始終思い出しているのかと言うと、実はそうでもない。
忘れていることが多い。
当時の友人たちとは年賀状を交わすくらいで会うこともあまりないし。

聴くと、やっぱりS先生に怒られたことを思い出す。
懐かしの生徒会室。

2014年1月19日日曜日

ロシア芸術館

昔、亀山郁夫先生がTVロシア語講座の講師をされていた頃の「ロシア芸術館」というインタビューシリーズをVHSテープに録っていたものを、DVDにした。
(まだ途中)
1.ボリス・ポクロフスキー(モスクワオペラ劇場)
2.インナ・チュリコヴァ(女優)
3.ゲンナジー・アイギ(詩人)
4.ソフィア・グヴァイドゥーリナ(作曲家)
5.アレクサンドル・ベラショフ(彫刻家)
6.ニーナ・アナニアシヴィリ(バレリーナ)
7.アレクサンドル・ソクーロフによるアレクサンドル・ソルジェニーツィン※
8.ナウム・クレイマン(エイゼンシュテインの研究家)
9.ボリス・グレベンシュコフ(ミュージシャン、ロック・グループ「アクヴァリウム」)
10アマーリヤ・モロドヴィーナ(女優)
11マイ・ミトゥーリチ(画家)
12ブラート・オクジャワの家のマラート館長
13ウラジーミル・トルストイ(ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイ博物館館長)
14バラガン・リミテッド(テクノ民謡グループ) 後半が途中

90年代末期の放送だったのでは?
故人となった方もいて、貴重かもしれない。
※これは去年だったか、完全版がユーロスペースで公開された。ロシア語講座で観ていたことをすっかり忘れていた。

アナニアシヴィリはこの番組で冒頭とラストにファジェーチェフとともに「リラの街から」という曲に合わせてオリジナルの舞を披露していた。
白と黒の大胆なストライプの衣装で。
(ファジェーチェフは黒一色。)

2014年1月18日土曜日

明日の予定

病院
図書館(ナボコフ)
映画
仕事
サークル

「シャーロック・ホームズとワトソン」の録画

2014年1月16日木曜日

このこのおかげで

数年来音信不通の友人がいた。
手紙を出すと、返送はされないので届いているようなのだが、返事がない。
電話をしても出ない。
共通の友人に聞いたが、やはり同じように、手紙でも電話でも連絡がつかないという。
入院しているのでは?あるいはもっと悪いことが起こっているのかも、と気にしながら、5,6年経っていた。

思い立って、訪ねてみることにした。
その番地の地図を印刷し、最寄駅から思い悩みながらそこに向かった。

○丁目○番○号のその場所は意外と広かった。
何軒ものアパートがあった。
空き室も多く、郵便受けに名前が書いてあるところは半分くらい。
彼女の苗字はない。
同じような形の小さなアパートが並び、奥に広くて風情のある古い家があった。
彼女はよくその季節になると枇杷を大量に持ってきて皆にくれていたものだったが、古い家の庭には果たして枇杷の木があった。
ただ、表札にある苗字は彼女のものではなかった。
木の下に赤猫がいてみゃあみゃあ鳴いていた。
 

呼び鈴を押してしばらく待った。

・・・・・・・・・・・・

誰も出なかった。

もう少しその辺りを見て歩いた。
路地の向こう側も同じ地番だ。
この家々の一軒一軒呼び鈴を押して、彼女のことを聞いてみようかと、迷っていた。
隣接する番地の家、確実に人がいそうな工務店などの前を通りながら、暗い思いがよぎった。

と、そのとき、路地を猫が横切った。
さっきの家の庭にいた赤猫とは別の、シャム猫風。
路上駐車の自家用車の下に潜り込んでしまった。
呼んでみた。
すると出てきたが、またあっという間に走り去った。

走り去ったシャム

さっきの家のところには、いつのまにか猫に餌をやろうとしている女性が現れていた。

私は走り寄った。
女性は「ここの家の猫なんだけど、飼い主が病気をして息子さんが餌をやらないから」
自分が猫に餌をやっているわけを、問われる前から説明している。

ああ、マーシャ、マーシェンカ!
やっぱりあなたじゃないの!
無類の猫好き。
彼女は私のことがわからないようで、“猫に餌をやっているのに不審に思った他人”に対する態度で、私に話しかけるのだった。
私は名乗った。

彼女はやはり入院していたこともあり、目が悪くなっって手紙を書くのがとても難しくなったとのことだった。
かつての家(おそらくそこで育ち、ご両親を送ったであろう親の代からの家)は数年前に売り、今の家は小さいのだと言った。
そして、以前もそうだったのだが、親戚の男性の介護に追われているとのことだった。

さっきの赤猫は、彼女が置いた餌を食べたそうに近くに来ていたが、私という不審者がいるせいでなかなかそこまでやってこない。
困ってみゃあみゃあ鳴き続ける。
そんな中で話を続けたのだが、さっきまっしぐらに逃げて行ったシャムは赤猫の姉妹なのだということ。
彼女は今、韓国ドラマにはまっていて(特に「トンイ」)、TVはないので携帯のワンセグで観ているのだということ。
私の近況。

また会うことを約束した。
たぶん日曜の礼拝の後、最寄り駅で。
帰ったら手紙を書くことを心に誓った。
それと、友人たちに知らせることも。

それから電車で西荻へ。


3×5センチのユートピア ソ連・東欧のマッチラベル展
 

予想以上に盛況だった。
同じ風合いのシリーズが続々とあって圧巻だった。



帰宅。
年末、仕事納めの日に届いたアネモネは、だいぶ豪快に開花しているが、まだもっている。

思えば、彼女に会えたのはひとえにあの猫のおかげだ。
神様がおつかわしになったに違いない。

2014年1月14日火曜日

主格ー与格 戦争と平和とローザ・ルクセンブルク

映画「ローザ・ルクセンブルク」は、「ハンナ・アーレント」好評につき、モーニングショーで上映中だ。
今まで観ていなかった。
以前友人から「ローザが腕組んで牢獄を歩き回っている映画だっていう(伝聞)」という情報を得ていたので、身構えてしまっていた。

ドイツの社会主義者の面々がぞろぞろ出てくるけれど、名前と顔を一致させるのがなかなか大変なのだった。
それにプラス奥さんの名前も。
ローザが最初に手紙で呼びかけているゾーニャ(ゾニチカ、ゾンカ、ゾーネチカ)はリープクネヒトの、政治の話には関わらないというルイーゼがカウツキーの奥さん。
クララ・ツェトキンとは親友で家族ぐるみの付き合いをしていた・・・のが、突然息子と深い仲になっていてびっくりだが、そこで喧嘩別れしないクララ・ツェトキンは偉いぞ。
ツェトキンの息子たちはマクシムとコスチャ(字幕では「コスチア」だったが、コンスタンチンの略称のコースチャであろう)という、ロシア風の名前。
ツェトキン自身がロシア系か、ロシアに親しみを感じているからかと思ったら、最初の夫がロシア人だったのですね。
(サッカー選手のコンスタンチン・ラウシュによれば「コースチャと呼ばれるのは家庭内とソ連圏からの移住者たちからだけ。ドイツ人には言いにくいらしく、コッカーというのが自分のニックネーム」とのことだった。)
どんどんネタバレさせると、ローザの何度目かの逮捕勾留の際、コースチャは直前に召集されており、愛猫(出演猫好演)を同志に託して行くが、その後ほぼ同時期にその両方の死を知ることになる。
お国のためなんていう美辞麗句によって戦争協力に染まってゆく世相も相まって、いわゆるヨブ記のような事態に自殺さえ考えたともらすローザに、若干今の自分を重ね合わせてしまったりする。
こんなとき、いかに判断を誤らせず正気でいられるのか、一生考えていないといけない。

あれは第二インターナショナルの会議なのだろうか、国際会議で何カ国語かでスローガンが掲げられている中、ロシア語では
«война  войне»
と書かれていた。

主格と与格。
「戦争は戦争に」?
いや、この場合与格要求の動詞が章省略されていると考えた方がよいのだろうか。
「戦争が戦争を促す」とか。

古くはバーナード・ショーが(«Посмеете ли вы объявить войну войне?»)、第二インターの後には1924年にマヤコフスキーが(«Миру — мир, война — войне»)このフレーズを使っているとのことだ。

パートナー?のレオとはポーランド語+ドイツ語で会話していたみたいだが、
当時ポーランドの官憲はロシア語を話していたようだ。
たぶんポーランド語ではない。

まあ、そんなわけで(というほど説明していないが)、予想していたより見どころの多い作品だった。

2014年1月13日月曜日

ニューイヤーコンサート

昨日は横浜までコンサートに行ってきた。

ナズドラヴィ・フィルハーモニーからメールでご招待状をいただいて、久しぶりに桜木町駅を降り立った。
元東急の駅と線路は取り壊し中で、一抹の寂しさを感じる。
神奈川県立音楽堂もかなり久しぶりで、藤沢在住のクラスメイトとコンサートに来たことがあったが、どんなコンサートだったか思い出せない。

ナズドラヴィ・フィルハーモニーは名前から察しがつくとおり、チェコ音楽を演奏するアマチュアオーケストラで、ナズドラヴィというのは乾杯のことだそうだ。

プログラムの最初の曲はよく知られたスメタナのオペラ「売られた花嫁」から6曲だったけれど、このお話、
第一幕:お祭りなので村人はビールを飲みながらポルカなどを踊っている
第二幕:居酒屋なので村人はビールを称えつつフリアントを踊る
第三幕:村の広場にサーカスがやって来てスコチナーを踊る→主人公たちの結婚を祝し村人は飲んで踊る
と、チェコの人たちは終始ビールを片手に踊っているのであった。
まさにナズドラヴィである。
チェコは弦の国だと言われるが、木管の響きもいいです!
この楽団のおはこなのか、皆この曲が大好きなのか、すらすらと演じているようだった。

二曲目はドヴォジャークのチェコ組曲。
これも舞曲中心オーボエやホルンが美しい。

三曲目が一番楽しみにしていたヨーゼフ・スクの「おとぎ話」。
原作の戯曲は神話時代のスロヴァキアを舞台としているとのことで、まさに知られざる名曲。
こちらは最初の曲と比べると、金管の音が?という場面がちょっとあったようだけれど、生でこの曲が聴けたことに感謝したい。

アンコールが2曲、新年のコンサートなので、ワルツと行進曲と気を利かせていた。
オスカル・ネドバル:悲しきワルツ
ユリウス・フチーク:フローレンス行進曲

トルンカのアニメーション「シュベイク」で冒頭でかかる行進曲はシュトラウス父のラデツキー行進曲なのでチェコの人にとってシュトラウスのマーチやワルツでもお馴染ではあるだろうけれど、ナズドラヴィ・フィルハーモニーとしてはチェコマニアぶりを徹底してちゃんとチェコで揃えたわけです。
(私自身も今日はチェブラーシカの飾りははずして、カレル・ゼマンの缶バッジをつけ、しっかりチェコモードで行ったよ。)
フローレンス行進曲については指揮者の方が「どこかで聞いたことがあるはず」とおっしゃっていたけれど、聞き覚えはなかった。
でもとても楽しくていい曲だった。
プログラムでもちゃんとチェコ語併記なのが嬉しいが、このアンコール曲についてはチェコ語表記はなかった。

次回のコンサートではドヴォジャークプログラムのようだ。

2014年1月11日土曜日

身に滲みて辛かった言葉と身に滲みて慰めになった言葉

「がんばれ」と言わないこと、と昨今よくいわれているようだけど。

「元気出してね」は大丈夫。
そう言葉をかけられて、全然辛くはなかったし、気にかけてくださってありがたいと思った。

でも、「元気ですか?」は、なぜだかとっても辛かった。
何言ってるの、元気なわけないよ、と。

そう。
先生は「せめて勉強で気を紛らわせてください」と書いてくださった。
ごめんなさい。
実は全然手についていないんです。
気は紛れていないけれど、何らかの慰めの一助にはなるのではないか、という気はしていて、先生のお手紙は嬉しかった。

「祈っています」「イエス様があなたの中に住まわれているので大丈夫です」「神様のなさることはすべて良いと心から信じて納得できる日がいつかきっと来るように今は祈るばかりです」という言葉にも感謝する。
(あんまり大丈夫じゃないかもしれないけれど。納得できる日はきっと来ると、自分でも思う。)

まだそうはできていないけれど「苦しい時には楽しかった時を思ってください」とアドヴァイスしてくださった先達の言葉。
「あなたなら大丈夫です。適当に頑張りましょう」という元同僚の言葉。

友達はありがたい。

クリスマスのものを片づけた、と先に書いたが、いただいたクリスマスカードを読み返しながら、悲しい中にもありがたくて、たくさんの涙を流した。

2014年1月8日水曜日

十二夜

昨日が正教のクリスマスだったので、そしてカソリックでいうところのエピファニーも終わり、ちょっと悲しいけれどクリスマスシーズン終了ということで、クリスマスの飾りつけを片づけた。

正教における今年の祝祭日
7 января - Рождество Христово
• 14 января - Обрезание Господне
• 19 января - Крещение Господне (Богоявление)
• 15 февраля - Сретение Господне
• 7 апреля - Благовещение Пресвятой Богородицы
• 13 апреля 2014 г. - Вход Господень в Иерусалим
• 20 апреля 2014 года Светлое Христово Воскресение (Пасха)  
• 29 мая 2014 г. - Вознесение Господне
• 8 июня 2014 г. - День Святой Троицы. Пятидесятница.
 7 июля - Рождество Иоанна Предтечи
• 12 июля - Святых апостолов Петра и Павла
• 19 августа - Преображение Господне

• 28 августа - Успение Пресвятой Богородицы
• 11 сентября - Усекновение главы Иоанна Предтечи
• 21 сентября - Рождество Пресвятой Богородицы
• 27 сентября - Воздвижение Креста Господня
• 14 октября - Покров Пресвятой Богородицы
• 4 декабря - Введение во храм Пресвятой Богородицы

Двунадесятые непереходящие праздники
Великие праздники
Двунадесятые переходящие праздники в 2014 г.

2014年1月7日火曜日

С Рождеством Христовым!

Дети катаются на санках - на Рождество 2014 анимация, картинка gif, анимированная открытка
BEST-ANIMATION.RU - СТИХИ, ПОЗДРАВЛЕНИЯ, ПОЖЕЛАНИЯ, ЛУЧШИЕ АНИМАЦИИ, АНИМАЦИОННЫЕ КАРТИНКИ, ОТКРЫТКИ ИНТЕРНЕТА СКАЧАТЬ БЕСПЛАТНО

ニコライ・ゴーゴリの『降誕祭前夜』のアニメーション
ソヴィエトアニメにしてはかなり長編の45分あまり。
Ночь перед Рождеством
Режиссёр: Валентина Брумберг, Зинаида Брумберг
СССР, Союзмультфильм 1951

2014年1月5日日曜日

作家とサッカーその11 ローラン・ビネ

フランス人作家は時として東ヨーロッパものを手掛けてみせる。
亡命・移住したロシア人作家もいるが、出自においては関係ない人も。
『四人の兵士』のリリシズムは忘れられない。

ローラン・ビネは兵役でスロヴァキアのコシツェに赴任し、かの国の兵士たちにフランス語を教えた、ゆえに芯からスロヴァキア好き。

彼がものした小説『HHhH プラハ、1942年』は、フリッツ・ラングの「死刑執行人もまた死す」などで取り上げられた、ヒムラーの右腕にしてユダヤ人大量虐殺の首謀者、当時のボヘミア=モラヴィア総督ラインハルト・ハイドリヒ、彼を暗殺すべく亡命チェコ政府によって送りこまれた二人のパラシュート隊員、スロヴァキア人ヨゼフ・ガブチークとチェコ人ヤン・クビシュ、これら実在した人物の、記録に基づく、一種の歴史再現ドラマといった様相を見せる。
この暗殺計画が<類人猿作戦>と名付けられていたとは知らなかったが、さんざん映画でも取り上げてきた話で、ビネもこの種のものを資料として片っぱしから読んだり書いたりしているので、上記のラングの映画に加えて、ロメール「三重スパイ」とか、「ブラック・ブック」とか、「ヒトラー最期の12日間」とか、ああ観た観たというのが出てくるのだ。ふむふむ、と読み進めていく。(こういう話なので「おもしろい」と言ってしまうのは気が引ける。)
この資料収集のオタクぶり(←恋人ナターシャ当然呆れる)は笑える。

この中で、ビネはふと、舞台をキエフへと移す。
キエフ、バビ・ヤール、そしてあのスタジアム。

「事件が起こったのは1942年の夏で<類人猿作戦>の主役たちとは何の関係もない。だから、本来この小説で語られるべきではない。」

なんて書きながら(160ページ)、結局書いちゃっているのだ、ディナモ・キエフに纏わるあの伝説的な「死の試合」のことを。ほんの3ページほど。

「なにしろハイドリヒとは直接関係のないことなので、あまり深く調査をする時間もなく、いくつか不正確なところがあったのじゃないかと心配だが、この信じがたい事件のことを語ることなく、キエフについて語りなくなかったのだ。」

ナチス式敬礼を拒んでソヴィエト風パフォーマンスをしてのけ、必ず負けろと言われながら試合に勝利した(しかも二度とも)ウクライナのサッカー選手たちは、4人の処刑という報復を受けた。
ナチス総督を暗殺しようとしたチェコとスロヴァキアの民も、承知のとおりリディツェ村の住民虐殺という報復を招いてしまう。
それを暗示、というよりあからさまに示したということなのだろうか。

最初私は、わざわざキエフの死の試合のことを記述したビネは、サッカー好き、ことによるとディナモ・キエフかスラヴィア・プラハかあるいはスロヴァキアのどこかのクラブが好きなのかもしれないと思ったが、ロンドンにおける亡命政権の軍隊同士のサッカーの試合のエピソード(187ページ)にしても、ただただあっさりしていて、さほどサッカー愛は感じられなかった。
後には
3 スポーツなんて、結局はろくでもないファシズムじゃないか。
というシニカルなご意見を偲ばせている。

2014年1月4日土曜日

カチャーノフおじさんといぬとねこ

コルネイ・チュコフスキーという名は、ロシア・ソヴィエト児童文化に関心のある人ならきっと聴き覚えがあることだろう。
コルチャック先生とも重なって、優しいおじいさまというイメージを持っていた。

『二つの白鳥の歌』の前半に収められたチュコフスキーの評論は、しかし児童文化に関するものではなかった。
文芸評論、マクシム・ゴーリキーに関する評論なのだが、これが優しいおじいさまどころではなく、ひどく辛辣なのだ。しかし、いちいち的を射ていて敵わないなあという感じ。
チュコフスキーは児童文化の評論だけでなく、普通の文芸評論もしていた、というより、ご本人はむしろこちらの方を本業と考えていたようだ。

それでは、カチャーノフは、あの「てぶくろ」や「手紙」や「チェブラーシカ」のロマン・カチャーノフは?
今まで思い描いていた優しいおじさま以外の顔があったのだろうか?

日本での一般公開は初という2本を含めた、没後20周年の上映があるので、ようやく観に行った。
(2日に新宿南口近くのグッズ売り場には行ってきた。)

その映画館に行く前に、ユーロスペースに寄ったので、こちらにも立ち寄った。

 
渋谷にもあるグッズ売り場(お店)だが、結論を述べると、新宿の方が充実している。
私の前に、カップルが一組、撮影中だった。
新宿のはエスカレーターのところだけれど、こちらは外に面しているので心置きなく撮れる。
 
 
映画館はこんな感じ。
 
入り口

 トイレの案内

スクリーンは1階降りた7階にある
 
 売り場案内
 
グッズ売り場
 
 コンテストもあったが・・・
 
はっきり言ってどの猫も似てはいない。
(それぞれ可愛いけどね。)
 
1963年の作品「こねこのミーシャ」は、今回の中で唯一台詞があって字幕付きの作品。
ハブローニナの『ロシア語を話しましょう』(旧作)にあるように、小さな家が取り壊されて大きな団地が建てられる。
いきなり家を壊してしまったが、ショベルカーおじさんは優しかった。そして作業車の面々は皆明るくソヴィエト社会建設に励んでいる。
「新居祝いには呼ばなくていいよ、どうせ行けないから、そのときには別の建築現場で働いているからね」なんて歌っている。
「チェブラーシカ」第4話に登場する、仕事をさぼる不真面目な輩はいなくて、進歩を疑わず邁進している様子(「迷子のブヌーチカ」でも、警察官がてきぱきと献身的に働いている)。
カチャーノフは、おそらく猫より犬の方が好きだったのではないかな?
「ミトン」ではさまざまな犬を描き分けているし、「チェブラーシカ」第1話ではトービクと名のる子犬がいて、彼の作品の中で犬は生き生きと個性豊かに描かれている。
猫は、というと、名前、ついていないんだよね、どの猫も。これも邦題では適当に主人公の猫をミーシャと名付けているが、名無しの捨て猫だ。
カチャーノフにとって猫はただ「猫」で、決して嫌いだったわけではないだろうが、犬ほど地位が高くないみたい。
カチャーノフ特有の細やかな抒情性という点では、原点ともいうべき作品で、ここから豊かに育てていったのだと思わせる、貴重なものだ。
あと、ショベルカー、クレーン車、ローラーなど工事現場の作業車が出てくる点でも『はたらくじどうしゃ』なんかを思い出させて私などはわくわくするのだけれど、今どきの子たちにとっては物足りないだろうか?
 
やっぱりカチャーノフの最高傑作は「ミトン」だ、と私には思える。
 
 





プレシーズン始まる

おやおや、年始&クリスマス休暇の最中なのに、もう今日からグラナトキン・メモリアルが始まっている!
更に驚いたことに、今回は日本代表もいる!
開幕戦はイランがベラルーシを圧倒。
1996年生まれの子たちの大会です。
ふぺりょーと、メッリ!

Команды 2014

2014年1月2日木曜日

カーリャのご挨拶

わーい、ヴォルガの公式サイトのトップにカーリャが載っている!
カーリャが代表して新年のご挨拶だ。
(動画あり)
ヴォルガは創立50年のメモリアルイヤーなのですね。

カーリャ、スィチ、ブーリャ、ビビ、皆にとって良い年でありますように。

2014年1月1日水曜日

元旦の探し物

で、父のアトリエに行ってきた。
成果はあまりなかった。

以前家の中に上がりこんでいた(父が好きで家にあげて餌をやっていた)猫たちは当然代替わりしていて、今は家の周辺でフーディングタイムを心待ちにしているかのような外猫が数匹(管理してくださっている方の話によれば9匹)いるそうだが、見かけたのは5匹、写真に撮れたのは4匹だった。


(写真に撮れなかったのは、丸々としたチョコレートポイントのシャムネコだった。)

近くの川にいた鴨は、岸に集っていたが人が来るとさっと泳いでいってしまった。
うちの近所の鴨は餌をもらえるとみて近づいてくるのに、えらい違いだ。

 いっちゃった。
 
倉庫は(当方が長いこと放置していたのに)随分片づけてくださっていたのだが、倉庫自体が風雨が吹き込むようなオンボロ状態で、本やレコードが剥き出しあるいは無造作に段ボールに詰め込まれているだけだったので、相当悲惨な状態(虫食い等)になっているのもあった。
自分では読まない・聞かないであろうものも多いけれど、特に本は捨てるに忍びなく、かといって全く売れそうにもなく、いざ処分する時は悲しいだろうなあ。
と、泣く泣く選り分けて、着払いで送っていただくものを箱詰めする。
レコードは送ると危険なので、何枚か持ち帰った。
 
 
数日前に書いた寺内タケシだが、「エリーナ」のLPは探し出せなかった。
「オデッサの朝」が懐かしく、探し出して持ち帰って、CDに録音したかったのだが。
あったのは、
・寺内タケシとバニーズ 正調寺内節・・・「勧進帳」「娘道成寺」「ノーエ節」など
・寺内タケシとブルージーンズ レッツ・ゴー・エレキ節ーエレキの民謡お国めぐりー
・・・「津軽じょんがら節」「斉太郎節」「よさこい節」など
・田中星児 オー・マリヤーナ
・白竜 光州City
以上LP
・『ニュータイプイラストレイテッド・コレクション川本喜八郎アニメーション&パペットマスター』・・・残念ながらかなり状態は悪い。
 
管理の方は話し好きなのでもっと話しこみたいようだった(アトリエの建物の状態がよくなくて修理(それもかなり大規模な)が必要であろうこと←私は震災の影響もあるのかと思ったが、どちらかというと今年の大雨のせいだと彼女自身は考えている様子)、賃貸借契約の更新のこと~こちらは管理していただいているので更新については全く問題はないと考えている~など実際的な問題はあったのだ)が、話があちこちしながら何とか進め、最終的な確認はあとで文書でした方がよさそうだった。
というのは、あちらは既にほろ酔いを通り越して、かなりテンションがあがっていたからだ。
 
特急の時間に合わせて、早めにアトリエを後にする。
倉庫の整理についてはあまり進まず、後日に先延ばしになった。
 
東京に戻って、新宿で「ミトン+」関連の展示があるミロードのお店に寄ってみた。
 
エスカレーターのところだから、写真は撮りにくい。
(3往復くらいして撮った。今日は元日で小田急デパートがお休みなので、人通りが普段より少なくて助かった。)

「ミトン」マトリョーシカは15体しかない貴重なものである由

お店に「ミトン」と「こねこのミーシャ」のポストカードがあったのでいただいてきた。
でも!
帰宅して気がついたが、とっても残念なことが・・・。
 
郵便番号を書くところがマトリョーシャの形になっていて可愛くてよいのだけれど。
 
問題点その1:せっかくだから牛乳瓶には”MILK”ではなく”МОЛОКО”として欲しかった。
問題点その2:”ПОУТА”って何だい?!(郵便番号欄の左側の切手を貼る箇所のイラスト)
”ПОУТА”(ポウタ)ではなく、"ПОЧТА"(ポーチタ)
(周りに本当のロシアの切手と消印を配したので参照のこと。よく見えないかな?)
 
右上のСССРの下の部分にあるのだけど。
 
ま、だけどほんとにソ連時代には、はがき(国内)は4コペイカだったんですね。
(これはウラジーミルで2010年に買ったものです。ソ連時代に作ったはがきセットがまだ売られていたのだ。翌年行ったら、さすがに新しいはがきセットになっていた。)
 
「ミトン+」(今回、まだ観に行っていない)の宣伝担当者の方、残念!!!
何でしっかり確認しないのだろうか?”ПОУТА”
 




 

 
これは近所の猫。
この子には久しぶりに会った。
お正月だけど、誰かが餌を置いていってくれている。