2014年4月27日日曜日

ゲルマンはつらい

観てきましたよ、いきなり新宿パークタワーホールで、ゲルマンの遺作「神様はつらい」を。

ボンダルチュクの「収容所惑星」映画化作品(「パワー」何とかという邦題になっていた、ヴァシリー・ステパノフがマクシムを若々しく演じてる、やたら怒鳴り声で。)もこんな風にじっくり全編をみせてくれるとよかったのにな。

予想されたことではあるけれど、ストルガツキー兄弟の原作にはかなり手が加えられて、やはりゲルマンの、特に「フルスタリョフ、車を!」の続きっぽい作風で、モノクロだからまだいいけど、汚さが満載で、なかなかに辛い映画でしたよ。
そんな意味で問題作なのか??
ゲルマンは、最初のうちの静かな作風が好きだったので、「フルスタリョフ」でどうしちゃったの?という感じだったけど、「イワン・ラプシン」でも実はそんな傾向があったんですね。


原作を読んでいないと、トーシャ=ルマータ(主人公)が何をしているのか掴めなくて不可思議な映画になってしまうのではないだろうか、と心配。
プロローグは全面カットしているし。(アンカはまったく登場せず、パーシカも存在感ない。)
何より「神様はつらい」というテーマ、<低開発>の人々に外部の者たちの「介入」が許されるのかという問題(ストルガツキーは一貫して否と言いたいようである)が暈けてしまうのではないだろうか。
「介入」―『収容所惑星』でマクシムがよかれと思って算段すること、『神様はつらい』でアントンが遂にブチ切れてやってしまうことは、欧米諸国が「人権が」とかなんとか言いながら、あるいはソ連やロシアも一種崇高な言説を掲げながら、結局は他人の庭に入ってやってしまっているあれこれを想定しつつ、私はストルガツキー兄弟のSFを読んできたのだけれど、今日観たゲルマンの作品に関しては、抑圧的な組織の面々がモンゴル帝国であるかのようで(←ソ連時代の作品ならそういうのもわかるけれど、15年かかってできた映画だというから、作り始めたのもロシアになってからなんだよね、なのに?と思った)、新鮮というか、驚いたものです。

う~~~~~む、ボンダルチュクに作りなおして欲しいなあ。
できればアルトゥールくんを出演させて。

でもでも、この作品を上映してくれて、イメージフォーラムにはБольшое спасибо!と言いたい。

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