2014年5月4日日曜日

チェルノモーレツのファンたちは

2日に起きたハティニ・2014年オデッサ版、その場にチェルノモーレツのファンと思しき人たちがいたことはこれまでにも書いた。

試合の15分くらい前から、私は暴動の動画のライブ配信を観ていたのだが、彼らの姿は試合が始まった頃から見えなくなったので、さすがにスタジアムに向かったか、それは遠くて無理にしてもTVやネットで観戦するためには石なんか投げていたのではできないのだから、暴徒の群れからは抜けたのだろうか、と思っていた。
その後の虐殺の結果を知ると、そうであって欲しい、彼らは放火や殺戮に関しては手を下していなかったのだと、信じたい。

実際にはどうだったのかはまだわからないのだが、そもそもの暴動の発端となったのは、チェルノモーレツとメタリストのファンが共同して企画したウクライナ統一を訴えるデモだったとのこと。

Активист о событиях в Одессе: Бандеровцы кричали: «Русские, горите!» より

Все началось с того, что в пятницу, после футбольного матча одесского «Черноморца» с харьковским «Металлистом», местные ультрас решили пройтись по центру города с лозунгами о единстве Украины. Навстречу им вышли сторонники федерализации.

(ここには「試合の後で」とあるが、「試合の前」である。)

これまでにも書いたように、私が観ていた頃には、それはもうデモではなかった。暴動だった。
主張の訴えなどなかった。ひたすら投石が行われていた。
ただ、それが”過激派”という言葉にイメージされるような、顔を隠していたり武器を持っていたりするようなのではなくて、素手で投石し、しきりと携帯電話などでその場を撮っている、一見普通の若者たちだった。
試合が終わった頃にはそれが火炎瓶になり、労働組合会館の惨状への繋がるが、ギリシャ広場からアレクサンドリスキー大通り、そしてクリコヴォ・ポーレへと向かう中で、群衆の中に明らかに「これが右派セクターなんだな」とわかる姿の人たちが見えるようになり、通りにいる人たちが不快そうな顔をして遠巻きに見て、それでもやはり携帯で撮影していたのだった。

建物への放火はかなり早い段階だったのだろう。
直前に記事に書いたように、彼らは消防車を乗っ取った揚げ句、鐘を鳴らして乗りまわして会館のすぐ前に乗り捨てていた。
建物が燃えているのが見えた時、私はなぜ消さないのか、消防車があんなに近くにあるのにと思い、故意に消火を妨げているのだとまでは意識が及んでいなかった。
(いや、実はそうは思いたくなかったということかもしれない。なぜ消火しないのかと思う一方、放水車代わりに暴徒に水を浴びせもしないのかとも思っていた。)
そのあたりで試合は終わったので、ライブ配信を観るのもやめてしまったので、その後の「ハティニ2014」は朝のニュースで知った。
40人余りを焼き殺した建物を背景に笑顔で映っているカップル(「ここはウクライナだ」と書かれたものを持っている)。

暴動の様子を当事者がライブ配信していることもそうなのだが、「ここはウクライナだ」と自らの蛮行を喧伝する神経も、私にはわからない。
彼らの中に、チェルノモーレツのマフラーをした人がいないとは限らないが・・・。

オデッサはこれまでに何度かのポグロムを経験してきた。
その新たな一ページが昨日書かれた。

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