2014年7月21日月曜日

修道院の猫・猫・猫

岩波ホールでやっている「大いなる沈黙へ」、予告編をみたときはさほど観たいとそそられるような映画ではなかった。
一般人が観ることができないようなところ(ここでは戒律の厳しい修道院)を撮ったというので、言葉は悪いが覗き趣味みたいなものになってしまうのではないか、とか、どうせ実生活でまともに修道的な生活を実践するつもりもないのにこういう映像を観て「心が洗われるような」とか言ったり感じてしまうことへの欺瞞性が何とも嫌らしい気がして後ろめたかったのである。
でも、やっぱりどこかに観ないと勿体ないかなという思いがあって前売り券を買ってしまったので、観に行ってしまったのだ。

で、ほんとに「心が洗われるような」気持ちになってしまって、非常に罪悪感に陥るのだったが。
要するに観て損はないレベルで映像は美しいし、予想したとおりに撮ったら説明抜きで観客に投げっ放しの初期ソクーロフのドキュメンタリーのようにひたすら淡々としている。
というか、ソクーロフの免疫があれば爆睡はしなくて済むと断言できる。

フランスのグルノーブルあたりの山地シャルトルーズにあるグランド・シャルトルーズ修道院は、「カトリックの中でも最も戒律が厳しい」というのだが、どう厳しいのかと言うと、個々に祈っている時間が多いということのようだ。
やはり基本的には自給自足の生活(でも、修道士の部屋にはシールつきのオレンジなどの果物があったので、外から買っているものもあるようだ)なので、農耕や工芸などもやっているが、「薔薇の名前」などの修道院の修道士のように聖書研究に励んでいるというより、ひたすら祈りを捧げ、神と対話している場面が多かった。
(それでも共同生活の雑務も実はいろいろあるだろうと思われるが。)
そして、予想以上に個々の自主性に任されているという印象を持った。
映画の終りの方で「スタフ王の野蛮な狩り」を思わせるような、修道士たちの橇遊び(スケートボードも)の場面がある。
また、ある修道士が何だか楽しそうにミャア!ミャア!とか言いながら納屋まで歩いていくところも忘れ難いシーンだった。
家畜(牛とか)の世話にでも行くのかと思って観ていると、猫への餌やりなのだ。
すぐに2,3匹出てくるが、修道士は執拗に呼び声を挙げている。どうやら餌やり対象の猫は他にもいるらしい。
猫たちはどこからか現れてくる。遠巻きに観ている。岩合さんの「世界ネコあるき」のようにごろんごろんになるわけではなく、一定距離があるままだったけれど、猫たちは餌にありついて幸せそうだった。
修道院の廊下で、または菜園で猫たちは時々顔を見せる。幸いなるかな、修道院の猫たち。
映画鑑賞後にプログラムを読んだら、どことなく聞き覚えがあると思ったシャルトルーズという地名、これはシャルトリューという猫の品種があったのを私は記憶していたのだった。
修道院に住まうのは、シャルトリューのような貴族的な猫ではなくて、ごやごやした三毛や二毛のありふれたヨーロッパネコのようだった。目がぱっちりしていてとても可愛らしい。

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