2015年4月29日水曜日

カフカースの哀しみ

アルメニア・チェチェン・アブハジアと奇しくもカフカースの人々についての映画を次々と観ることになった。

まずは日曜・土曜のアルメニア人映画の夕べ
「マイリック」

アルメニア人映画の夕べでアンリ・ヴェルヌイユ監督作品「マイリッグ」を観る。監督のマルセイユでの少年時代を描く。ジェノサイドについては冒頭の事件、裁判、そして主人公家族の知人の回想エピソードのみ。主催者が「ファクトブック」と呼んでいた『アルメニア人ジェノサイドの真実』をいただいた。

アンリ・ヴェルヌイユの「マイリッグ」は字幕なしのフランス語だったので、台詞はほぼわからず。最初の裁判のエピソード、ジェノサイドを語るポーターの知人の関係は不明。でもアルメニアからの移民として過ごす少年時代のエピソードの数々(特に家族愛関連)には心を打たれた。字幕付きで再見したい。

アルメニア系フランス人アンリ・ヴェルヌイユ監督作品「マイリッグ」に出てくる煮込み料理、おばあちゃん手製のジャムや漬物など保存食類、美味しそうだった!お父さん役のオマー・シャリフはやっぱりエジプト人に見えちゃったけど、素敵。イケ爺。

パラジャーノフの「ざくろの色」とドキュメンタリー映画「ネイバーズ」

今晩もアルメニア人映画の夕べへ。パラジャーノフの「ざくろの色」はさすがに満席盛況。相当回数観ているが、観る度に「何考えているんですか、この天才?!」と思う。今日は特に赤と黒の美しさに震えた。ドキュメンタリー映画「ネイバーズ」はトルコとの国境の村の四季を撮る。子どもたち・牛・山羊

肩幅とともに体の厚みもある、素敵なおじさま風のアルメニア大使は2晩とも挨拶に立った。
流暢な日本語で、今年は続けて文化行事をやるので大使館のサイトにアクセスしてみてください、とおっしゃるので大使館のサイトを見たが、在日アルメニア大使館サイトは英語とアルメニア語しかないとわかって落胆した。
そのアルメニア大使は、”ファクト・ブック”にメッセージを寄せている。
「パフェ!パフ!(逃げよう、逃げよう)」というアルメニア語を元にした「パフェパフの時代(大迫害の時代)」について、そして3人の子どもを抱えての逃避行の末辿りついた大聖堂で亡くなった一人の母親について、淡々と綴っているが、予想通りそれは大使ご自身のご先祖(曽祖母)なのだった。
その後も生き延びた上の息子、大使の祖父にあたるその人は、後に行き別れた弟を探し出し再会する…。
そして、予想通り大使の言葉は続く。
「私たち一家に特別な経験ではありません。」「殆どのアルメニア人は、一族に必ず虐殺の被害にあった者がいるのです。」

「アルメニア人映画の夕べ」で上映された作品の中で、直接この時のアルメニア人ジェノサイドを主題としているのは「アララトの聖母」で、今回は観に行かなかったが、公開当時上映会場(試写会が行われたカナダ大使館だったと思う)で、知り合いのトルコ人学生に出会ったことを思い出す。
「トルコでは決して観られないと思うから、ここで観なければならないと思った」と彼は言っていた。
「マイリッグ」については上記の通りで、監督の自叙伝的な作品だが、監督の家族自体が虐殺に遭遇したのかどうかはよくわからなかった。が、それがあった6年後にイスタンブール経由でマルセイユに移住した(監督はちょうどジェノサイドの年に生まれている、つまり今年が生誕100年)のは、間違いなく故郷を追われて、迫害を避けてのことだったろう。

今日観に行ったのは、「あの日の声を探して」「マックスへの手紙」で、どちらもカフカースを舞台としたフランス映画だ。
「あの日の声を探して」は、まあ普通におもしろかった(楽しかったと言う意味ではない)が、次の「マックスへの手紙」がもっとずっとおもしろくて印象が弱まってしまった感がある。
というのは、「あの日の声を探して」は「山河遥かなり」という1948年の映画のリメイクだということで、私は元の映画は観ていないのだけれど、肉親をホロコーストで亡くしたユダヤ人の子どもがアメリカ兵に助けられ、やがて生き別れになっていた母と再会、というストーリーを、現代のチェチェンに置き換えて、ロシア兵に両親を殺されたチェチェン人の少年が欧州人権委員会のフランス人女性らに助けられ姉と再会するという話に、チェチェンの前線に送り込まれたロシア人青年が軍隊の中で壊れて残虐行為をするようになる変貌ぶりがサイドストーリーであるが、なんだか聞いたような話だなあ、邦題はもう少しましなものにならなかったのだろうか?みたいなことを考えながら、先の展開が想定内で進んでいくものだった(いつのまにかどこかで予習してしまっていたのだろうか?)
メインとサイドどちらも言ってみれば目新しさのないエピソード(前者は伺ったばかりのアルメニア大使のファミリーヒストリーにも通じる!)なのだが、後者はなんとも苦い後味。
子役の子は普通(ヴォイチェフ・クラタ風、レズギンカ風ダンスは特訓だったそう)、姉役のグルジア少女は痩せていて冷静そう。すごく可愛いのを期待していると、どうかな?ヒロインの秘書役はトゥクタミシェヴァのような色香漂う美女、いつまでも観ていたい。

それも、「金色の雲は宿った」やロゴシュキンの「護送兵」や「チェックポイント」、ソクーロフの「チェチェンへ アレクサンドラの旅」なとで、ソ連・ロシア映画では幾度か描かれてきた、根は普通だった李むしろ気のいい兄ちゃんだったりするロシア兵が「敵」には無造作に無慈悲で、戦地から帰ったとしても社会の中でどうやってその後の人生を生きていくのか…心が乱れるばかりだ。

「マックスへの手紙」はドキュメンタリーなのだろうね?
フランスの映像作家が、アブハジアの旧友に手紙を出してみると、未承認国家だから届かないかと思われたのに、なぜか手紙は届いて返事が来る。しかも映像つきで。
そこから何百通もの往復書簡が始まり、アブハジアのグルジアからの「独立」にあたっての戦争、戦後、日常生活などが語られるのだけど、旧友というのはアブハジアの閣僚(外務副大臣から外務大臣に就任)マクシム・グヴィンジア氏…といってもこの人は政治家だとの自覚は語るけれど何かビジョンを示してばりばり行動するより、目の前に山積する問題を片づけていく優秀な官僚が合っているかな、という感じの人。作者(監督)からデリケートな質問をされて、ウィットに富む譬えで交わしているが、とても頭のいい人なのだと思った。
終盤近くに、アブハジアから難民となって去ったグルジア人のことを尋ねられて、一緒に暮らしていたグルジア人のことは別に憎んでいないし、彼らが追われたことは心が痛む、と言いつつ、絶対謝罪の言葉は述べなかったし、これからグルジア人と一緒に暮らしていくのは無理、分離して良かったと、それは心からそう思って言っているんだろうな、と。
未承認国家の中核にいた人の、率直な発言の数々が、それはそれは貴重だ。
一般公開してほしい作品だ。

それから、これらの映画中、圧倒的に素敵な歌や舞があって耳と目が非常に悦ぶ。
でも、告白すると、オセット(アラン)もチェチェンもグルジアもアルメニアも、カフカースの人のダンス、男性は鷹のように勇壮で、女性は白鳥のように優美な(←平凡な例えしかできなくて悔しい)、あのわくわくするダンスが、私には皆レスギンカっぽい、として区別がつかなくて、申し訳ない。

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