2016年3月5日土曜日

映画とお芝居

3月2日、渋谷アップリンクにドリンク付き(スイーツ&お土産もついていた)上映会「もしも建物が話せたら」に行って来た
オデッサ・コスモス: ◆КИНОФИЛЬМ「もしも建物が話せたら」~ロシア国立図書館: 「もしも建物が話せたら」 渋谷アップリンク 上映中 ドイツ・デンマーク・ノルウェー・オーストリア・フランス・アメリカ・日本2014年 Сегмент о Российской Государственной Библиотеке для серии документальны...

個々の建物について、一本の(1時間~90分くらいの)ドキュメンタリー映画が作れそうなものなので、長さを感じさせない。あれ?もうそれで終わり?という思いさえした。
まだまだ感想は尽きない。

3月3日、国会前にて13:00ちょうどの「アベ政治を許さない」スタンディングに参加。
毎月3日のこの行動、澤地久枝さんの提言とのことだが、ご本人を拝見したのはこれが初めてではないか。
2月は職場で、机の前で肉球新党のプラカを掲げてツイッターにアップ。
であったので、国会前行動は1月以来で、そのとき会った高校の同窓生と再会した。
帰宅して、税務署に確定申告書提出に行って無事終了。
行き帰りで猫に4匹も会えた。
広々した空き地(都営住宅が潰された跡地)に白黒ちゃんがお昼寝中で、呼び掛けると何度も寝返りをしてみせてくれた。
4日に俳優座劇場で劇団銅鑼の「池袋モンパルナス」鑑賞。
冒頭の喧騒から強烈にユーゴザーパドの香りが匂いたつ。終わってから気が付いたが演出が野川美子さん。あの劇団に在籍していた方だ。最近来日公演が絶えていますからユーゴザーパド・ロス久しい方には是非にとお薦めしたい。(但し、完璧は期待しないでね。身のこなしとかはロシアの俳優さんはやはり格段に美しい…)

聞けば18年ぶりの再演だという。
1997年の初演時には観られなかったので、再演されたら今度はきっと観ようと思っていた。
やっとその機会が訪れたのだが、その間に、芸術が時代の流れに飲み込まれ戦争へ協力・参加を余儀なくされるというこの劇がなんと身につまされるご時世になってしまったことか!恐ろしくなる。

アウ゛ァンギャルドへの弾圧は目立つ人を標的にして潰せば残りは萎縮して自己規制するもの。
とは、以前ロシアアヴァンギャルドについての(というよりソヴィエト初期の絵本の展覧会についてのレクチャーだった気もする)、スターリン体制の中で弾圧、粛清と危機を迎えて、「芸術の革命」が収束していく歴史を、沼辺信一さんが語った際に、要するに体制側にとって気に食わない芸術家たちを、根こそぎ掴まえて、拷問したりして、根絶やしにする必要は全くなくて、標的を作って見せしめにすれば十分であって、そのことで残った連中は委縮して術中に嵌るという、そういう趣旨のこと(正確な言葉は記録しておらず再現できないが)を、同じ場で聞いていたクリエイターを自認する某作家さんが深く受け止めて自らのブログに書かれていたし、私自身も(クリエイターではないが)恐ろしいというより人間の性として悲しいことだと感じた。
そのことが、この劇を観て、ずきずきと思い出された。

といっても、悲しいことに登場人物の芸術家逹を知らなくて難儀する。
恥ずかしいほど日本文学や日本美術の教養がない。
加えて、銅鑼の俳優さん逹も「似た顔の人が二人ずつ位いてわからなくなる」とは家人の言及。

それにしても、後の世代の妄言かもしれないが、「芸術の革命」「革命の芸術」などとマヤコフスキーみたいなことを叫んでいた画家たちも、案外簡単に転向するというか、言いなりになってしまうもので、勿論そういう人がいるだろう、多いだろうことは承知しているが、描きたいものを描く!といきがる無頼漢がいなかったのかー
あるいは、観ていてドヴラートフを思い出す。
ソ連時代書いたものが検閲でなかなか公にならず亡命せざるを得なかった作家だが、自分は作家でよかった、今出せなくても引出にしまっておけばいいから、彫刻家だとそうはいかない。そんなことを書いていた。
画家だって、キャンバスに描く絵も燃やしたりしないで、丸めてしまっておけばいいのに、いつか世に出せる日まで隠しておくんだよ、と。
(と言ったら、家族には「日本はロシアより徹底的に家捜しするのでは」と言われたけど。どうかなあ。素人なのでそれ以上は何とも言えない。画家の社会的影響力をそんなに大きく見積もっていたか、無名画家の家宅捜索なんでそんな真剣に徹底的にやるものだろうか?とか思うのだが。)
もう少し知恵を働かせて、体制に反対しないように見せて、自分の信念にも逆らわず、という道を探れなかったものなのかと。
(後知恵というものだとは思う。)
画家たち自体が、戦争へ向かう当時の風潮にも、自由にものが言えず表現が出来なくなる社会に対して、批判的にはなっていなかった、むしろ社会に順応していた(「革命」とか口走っておきながら中身はそんな程度だった)というのが史実なのかもしれない。
今、それを目の当たりにするのは、身に滲みる苦しさがある。

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