2016年5月25日水曜日

録画メモ

ウィーン国立バレエ『海賊』
マリインスキーバレエ「火の鳥」「春の祭典」「結婚」 サンクトペテルブルグ白夜祭2008

2016年5月22日日曜日

ユーロ2016のロシア代表は遂に

週末の川崎市市民ミュージアム詣で、いよいよ真打アラノヴィチ。
土曜は「海に出た夏の旅」「トルペド航空隊」の2本に震える。

で、ロシアプレミアリーグ最終節なのだ。
我が贔屓のクルィリヤはほぼ定位置に収まったので最大の懸念は去ったのだがいろいろ希望や心配があったが、それは別に記す。

悲喜こもごもというより、結果的には悲哀が圧倒的だった最終節の試合が終わると、ユーロ2016本大会に向けたロシア代表が発表された。
「ロシア代表候補」ではなく、いきなり代表の発表。
大会前の親善試合でお試しして絞るというのではなく、ほぼこれで確定なのだろう。
皆さんくれぐれも怪我をしないでね。

GK
1.イーゴリ・アキンフェーエフ(ツェスカ・モスクワ)1986年4月8日生まれ 86試合招集(初選出2004年4月28日)63失点
2.マリナト=アルヴィム・ギリエルメ(ロコモチフ・モスクワ) 1985年12月12日生まれ 1試合(2016年3月26日)0失点
3.ユーリー・ロジギン(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ 1990年5月26日生まれ 10試合(2013年11月19日)4失点

DF
4.アレクセイ・ベレズツキー(ツェスカ・モスクワ) 1982年6月20日生まれ 57試合(2003年2月12日)
5.ヴァシリー・ベレズツキー(ツェスカ・モスクワ) 1982年6月20日生まれ 93試合(2003年6月7日)4得点
6.セルゲイ・イグナシェーヴィチ(ツェスカ・モスクワ) 1979年7月7日生まれ 115試合(2002年8月21日)8得点
7.ドミトリー・コムバロフ(スパルターク・モスクワ) 1987年1月22日生まれ 38試合(2012年2月29日)2得点
8.ロマン・ノイシュテッター(シャルケ-04(ドイツ)) 1988年2月18日生まれ 初招集
9.イーゴリ・スモリニコフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ) 1988年8月8日生まれ 12試合(2013年11月19日)
10ロマン・シーシキン(ロコモチフ・モスクワ) 1987年1月27日生まれ 10試合(2007年3月24日)
11ゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ・モスクワ) 1991年4月27日生まれ 7試合(2012年8月15日)

MF
12アレクサンドル・ゴロヴィン(ツェスカ・モスクワ) 1996年5月30日生まれ 3試合(2015年7月7日)2得点
13デニス・グルシャコフ(スパルターク・モスクワ) 1987年1月27日生まれ 42試合(2011年1月27日) 4得点
14イーゴリ・デニソフ(ディナモ・モスクワ) 1984年5月17日生まれ 52試合(2008年10月11日)  
15アラン・ザゴエフ(ツェスカ・モスクワ) 1990年6月17日生まれ 49試合(2008年10月11日) 9得点
→ドミトリー・トルビンスキー(FKクラスノダール)
ザーガが骨折!ユーロ欠場というショッキングなニュースが。
16オレグ・イヴァノフ(テレク・グローズヌィ) 1986年8月4日生まれ 3試合(2015年6月7日) 
17パーヴェル・ママエフ(FKクラスノダール) 1988年9月17日生まれ 10試合(2010年11月17日)
18アレクサンドル・サメドフ(ロコモチフ・モスクワ) 1984年7月19日生まれ 28試合(2011年10月7日) 3得点
19オレグ・シャトフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ) 1990年7月29日生まれ 21試合(2013年2月6日) 2得点
20ロマン・シロコフ(ツェスカ・モスクワ) 1981年7月6日生まれ 53試合(2008年3月26日)13得点

FW
21アルチョム・ジューバ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ) 1988年8月22日生まれ 16試合(2011年11月11日) 8得点
22アレクサンドル・ココリン(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ) 1991年3月19日生まれ 37試合(2011年11月11日) 11得点
23フョードル・スモロフ(FKクラスノダール) 1990年2月9日生まれ 12試合(2012年11月14日)5得点

文句ないのはFWだけだな。
①リーグ2位(それも競っての準優勝)ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌから0人って・・・スルツキーさんはベルディエフさんと何かあったのか??
②ユース枠はゴロヴィンのみ。これでいいのか?(いや、よくない!)
③逆にベテラン多すぎ。特にCB固定でいいわけない。
④直前帰化選手の選出、せめて若い選手にして欲しい。
⑤やっぱり国内リーグ選手ばかり(国外リーグが初出のノイシュテッターただ一人という…チェルィシェフは怪我)

④についてだけど、結局のところ、自前で育てるのではなくて、埋め合わせっていうことでしょ、と思ってしまう。
ノイシュテッターはぎりぎりソ連圏(近い外国)の選手(ソ連邦ウクライナのドニエプロペトロフスク出身、育ったのがキルギス、お父さんがソ連・ドイツのクラブでプレイし、カザフスタン代表として3試合に出場したサッカー選手)といえるのだけれど、本人はロシアのクラブでプレイしたことがなく、住んだこともない(ウィキペディアによれば祖母とおばがロシア在住)、そしてロシア国籍を申請したのが2015年11月。それでもう国籍取得できるというのは異例の早さだろう。キルギスに住んでいたからロシア語は話せるのだろうが。

ツェスカのマリオ・フェルナンデスも国籍取得希望となっていたのはどうなったのかしら?

GKのギリエルメは要らないなー。
ブラジルからロシアに来て久しいけれど、ノイシュテッターみたいに旧ソ連圏の人っていうわけでもなく、純粋に「助っ人」なんだけど、若くないし、とても抵抗がある。

1990年代生まれが少ない。70年代生まれすらいらっしゃる!





2016年5月20日金曜日

授業の前に

大学猫に会えたよ。






しかし、なかなか呼んでもこちらを向いてくれない、堂々とした猫だった。

初めて会う子だと思う。

2016年5月15日日曜日

オデッサ・コスモス: ◆КНИГА『リトヴィーノフ ナチスに抗したソ連外交官』

オデッサ・コスモス: ◆КНИГА『リトヴィーノフ ナチスに抗したソ連外交官』: リトヴィーノフ ナチスに抗したソ連外交官 著者 : 斎藤治子 岩波書店 発売日 : 2016-02-24 ブクログでレビューを見る» 『令嬢たちのロシア革命』の斎藤治子先生著。内戦や干渉戦争で困難を抱え孤立無援状態だった初期ソ連...

容赦ないなあ、この筆致。

P146
 10月11日、ポーランドはドイツに保護されてチェコのチェシンとシレジア地方(ともに工業発展地域)を奪い、ハンガリーは11月、チェコのスロヴァキア南部を奪った。そして1939年2月防共協定に加入し、4月国際連盟から脱退した。火事場泥棒的な侵略を行ったポーランドとハンガリーの政府はナチス・ドイツを恐れる小国といえども、共犯者としての汚点を歴史に記した。

(強調部分は私による)

ミハイル・ブルガーコフ生誕125年記念

 
 
 
 


 
 
 
ゴーゴリはウクライナかロシアかで争っていたが、ブルガーコフは?
この手のものは愚かな問いだと思う。
 

2016年5月14日土曜日

ロシア、ソ連にとってのヒロシマ・ナガサキ

『世界の子どもの本から「核と世界」がみえる』掲載で知り、読んでみた。著者はプラウダ特派員で、「本当は日本人が書くべきだったほどの」「簡潔な、しかし内容の豊かな原爆入門書」と、前掲書編者長谷川潮氏に評価されている。ソ連では多くの人達(なかでも子どもたち)に読まれ、児童文学者のいぬいとみこさんがグルジアを訪れた際には日本人と見るや「アイオイ、アイオイ」と話しかけてくるほどだったという。

2016年5月11日水曜日

妄想:世界ネコ歩き・サンクト=ペテルブルグ編

「世界ネコ歩き」のサンクト=ペテルブルグ編を妄想する
(この「妄想する」って、亀山郁夫先生の『『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する』みたいだったりして…)

ペテルブルグは観るべきものが無数にある。
最近はロマノフ王朝関係の史跡が整備されてますよとお薦めされる。
しかし忘れてはならないのは先の大戦で甚大な被害を被ったこと。
戦勝記念日の今日、単に勝った勝ったと誇るばかりでなく、猫と戦争についての記念碑があることを知ることができた。

ロシア(ソ連)の戦勝記念日である5月9日、こんな記事が目に留まったからだ。
大祖国戦争の33の事実


21.1943年1月、食糧備蓄を脅かすネズミの大群を退治するため、レニングラードにヤロスラブリから貨車4両分の猫が運ばれた。

所謂「猫列車」のお話。
この後も他の都市からも猫列車がレニングラードに向かった。
戦争と動物、日本だと動物園の猛獣を殺した話とか飼い犬を供出させられた話が知られているが、ロシアだと軍用犬・鳩とともに猫列車の話とレニングラード封鎖の猫の記念碑が知られている?

戦時の動物たち
P24~27レニングラード封鎖の猫の記念碑・猫列車・猫勲章
Animalsatwar さんから

サンクトペテルブルグ国立大学の猫記念碑:
大学の猫像とレニングラード封鎖の猫の記念碑:
知らなかった。
今度行ってみよう。

モスクワと比べてもペテルブルグは猫遭遇率高い街。戦争の時ドイツ軍に包囲されて飢餓に陥り猫も食べ尽した、その後鼠大発生で他都市から猫列車で猫を運んだ。今も昔も美術博物館、図書館等で小さな守衛さんとして働き続ける。というわけで感謝されている。ピーテルだけでも猫の像は沢山あるんだな。

(1)エルミタージュ
①入り口付近で実猫と会う



②猫絵見学~ガイドブックは勿論これだ。


③できたら、バックステージツァーで静かに猫のお住まい等を見学
 
 

→ネフスキー大通り


 
 


 

 



→マーラヤ・サドーヴァヤ通りの猫の像(エリセイとワシリーサ)
レニングラード封鎖の記念碑の猫はエリセイ(雄)とワシリーサ(雌)という。
猫の記念碑はネフスキー通りのゼニットショップのすぐ近くにあった
home-lubimets.ru/pamyatnik-kosh
ゼニットショップに行ったときは猫の像があるってだけで封鎖関連の記念碑とは知らなかった。
 

猫にとって、勿論人間にとって、悲しい歴史だ。


→サドーヴァヤ通り


→ヴォズネセンスキー通り

→猫カフェ「猫共和国」(中央郵便局の近く)

→ワシリーエフ島・サンクト=ペテルブルグ国立大学中庭の猫の像
サンクトペテルブルグ国立大学の猫はこれ? 
ロシアで最初の猫の銅像。ワシリーエフ島の大学の主庭にある。
でも趣旨は実験用の猫たちに感謝とあるみたい。




大学の猫像のこと、『サンクト・ペテルブルク断章~遺伝研究者のロシア滞在記』『サンクト・ペテルブルクの異邦人~芸術と文化、歌と生活』に書いてなかったのか読み直そう

「エルミタージュの猫」録画、観直しました。マーラヤ・サドーヴァヤ通りの2匹の猫像は「幸福を招く」とコインを投げられており、大学の猫像の碑文は市民から募ったようで「猫の幸福が地球の幸福」「猫に感謝すべきである」と訳されていました。猫はあの街を救ったのですね。

(まだ書きかけ。推敲します。)

2016年5月9日月曜日

先送りの知恵~『小説外務省 尖閣問題の正体』

内容は複雑だしよくわかんない外交分野のことだけど、表現が直截的で平易(というか説明的?)なので少し戸惑った。裏を読めみたいなところがないんで。ナボコフなどとは正反対ね。お洒落ではなくても誠実な書き方なのだろう。
河東哲夫さん(ペンネーム熊野洋)の小説よりは受け入れられたかな。あまりナルシスティックではなかったので。イランのことは続編に期待のようだ(漢詩・ロシア詩に加えペルシャ・アラビア文学の引用が増えそう)。アメリカに言いなりにしかなっていない外務省、自民党の面々がひたすら情けなく思え、「アメリカ大事、何より大事」の人達と深い溝…

С 9 мая !

С 9 мая !

Стакан с водой, черный хлеб, красные цветы
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今年もロシアの(というよりソ連の)大祖国戦争勝利の日のお祝い料理を作ってみましたが、去年と変わりません。


去年の料理

今年

サラダはニンジンとスメタナのサラダが思ったよりオレンジではなかった(白っぽい)のでチューダーチーズと海苔でごまかす。

定番、ひじきとにんじんのきんぴら

サーモンと昆布のマリネ

コーヒーゼリーと文旦ピール


今日はやはりヴォトカ(サリュート)で。

川崎市市民ミュージアム通い 5月編

前半ポーランド、後半アラノヴィチ。

サムソン」はナレーションや独白が説明的でまだワイダの(そしてポーランド派の)美学が確立する前の若さが滲むが、天才は最初から才能隠さない。ナチスによる被害よりポーランド人によるユダヤ人差別と弾圧が容赦なく描かれている。当時、かの国ではどのように受け止められたのだろうか?
昨年のポーランド映画祭で観た時には
ポーランド映画祭、やはり今風演出の「リベリオン」よりワイダの「サムソン」の方が1000万倍よい”
とツイートしていた。

川崎市市民ミュージアム、「白鳥」 時代は激動、映画撮れないよ~!映画時々ある。内輪も。しかしはっちゃけているな。普段はバラバノフ風作品だったりするのか?ポーランド映画、そんな所からよくも立ち直り、さすがだなぁ!
白鳥」って、やはりチェーホフ的な意味合いなのだろうか?

「マテウシの生活」
ひたすら美しい映像だけど、マテウシ兄妹の描写には引っ掛かるものが残る。周囲の村人逹は聖愚者のように見守り、妹の恋人もそれなりに一人前に扱っていただけに、最後のマテウシの選択が辛い。空気が北欧的。原作はノルウェーだと。
服や家や食事は昔風なのに飛行機の音や通りがかりの自動車の外国人旅行者?の存在などいつのことやら不思議な雰囲気ではあった。多分わざと。

2016年5月7日土曜日

決して小さくない、立派な英雄

ちら聞きしただけの歴史が実は全然知らないに等しかったということを知れただけよかった。バスクについてはほぼ知らない。
ベルギーのレジスタンス活動家の実話を基にバスクの小説家が書いた小説(なぜバスクの作家が書いたのか、書かねばならないと思ったのかは読んでのお楽しみ)。『シベリアの掟』とはまた違った良さがあった。しみじみ。
レジスタンスの実話を基にしたという点でチェコの『HHhH』を思い出すけれど、こちらは作家自身の姿も見える。それをよしとするかは好みが出るだろうが、私は好み。

映画化されるんだったら、やはりジェレミー・レニエに演じてほしいわ。

2016年5月6日金曜日

こどもの日映画まとめ

ツイッターでハッシュタグがあって、思いつくものを挙げていったが、まだまだ漏れがあったので、メモしておこう。

※ツイッターで、自分では思いつかず、リツイートしたもの。
※※この場での補充

まずは「それでも生きる子供たちへ」
クストリッツァだけまるでテンションが違う気もするが。

こどもの日映画 と言えばイラン
「友だちのうちはどこ?」
「そして人生はつづく」
「トラベラー」
「ホームワーク」
「白い風船」
「運動靴と赤い金魚」
「子供の情景」
「駆ける少年」
「トゥルー・ストーリー」
「太陽は、ぼくの瞳」
「ぼくは歩いてゆく」
「少年と砂漠のカフェ」
「バダック 砂漠の少年」
「ボーダレス ぼくの船の国境線」
「かさぶた」※
「7本のキャンドル」※

トルコ
「蜂蜜」※
「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」(フランス制作だけど)※※

パレスティナ/イスラエル
「プロミス」
あの子たちはどうしているのか?
それを思うと苦しい。
あの後双子たちとファラジは何回か会ったけど情勢が厳しくなって行き来できなくなってしまったという辺りまでは聞くが、徴兵相当年齢なってきたら、ああ…。
移住しているかもしれないけど、とにかく生きていてほしい。
「セイント・クララ」※※

イランに対抗するのは、ソビエト映画は児童映画専門撮影所があった(とツイッターで教えていただいた)ソ連であるようだ。
とにかく私は、ソビエト児童文化に染まった環境(絵本・演劇・人形劇・アニメーション)で育ったので、親近感がある。
(ここでは敢えて実写映画のみに絞り、アニメーション作品は取り上げない。)
ではいってみよう。
「海に出た夏の旅」
 ↑
川崎市市民ミュージアムで上映あるので、是非是非観に行こう!
レンフィルムのこどもの日映画にはアサーノワ(民族的にはキルギスだがレンフィルムとしてここで扱う)の「きつつきの頭は痛まない」「パッツァーニ」、ロプシャンスキー「死者からの手紙」などなどまだまだ観たいのが沢山ある!
川崎市市民ミュージアムの方、どうか上映お願い!
「僕の村は戦場だった」
「ローラーとバイオリン」
「少年たち カラマーゾフの兄弟より」(ドストエフスキーの子孫がコーリャ・クラソートキン演じているあれ。)
「がんばれ かめさん」
名優ロラン・ブィコフ監督作品「がんばれ かめさん」も思い出した。題名からは想像できなかったエグさが忘れ難い。
「曠野(ステップ)」※
「転校生レナ」(「かかし」)※
カネフスキー「動くな、死ね、甦れ!」、これも川崎市市民ミュージアムで上映予定があるそうだが、この路線だとボドロフ「自由はパラダイス」に1票。
未見だけど。原作本の『大好きなパパ』(ヴェーラ・パノーワ)大好きなので、観たくて観たくて仕方ない。ゲオルギー・ダネリヤの「セリョージャ」

中央アジア
「少年、機関車に乗る」
マイ・ベスト5の1本なのに昨日中に挙げなかったのは痛恨の極み。
弟くんが愛くるしい。なぜか土食。
「UFO少年アブドラジャン」「タシケントはパンの町」「最後の冬の日々」「白い鳩」「ラスト・ホリデイ」「3人兄弟」 
「あの娘と自転車に乗って」
「少女は自転車に乗って」(サウジアラビア)よりは「あの娘と自転車に乗って」(キルギス)だな。

ウクライナ・ベラルーシ
「炎628」※
「灰色の石の中で」

カフカース
「金色の雲は宿った」
「ルカじいさんと苗木」
「アンドリエーシ」
「独裁者と小さな孫」(マフマルバフはイラン人だが孫役の子はグルジア人だからここにカウント)

ポーランド
これ忘れちゃいけなかったね。ワイダ「コルチャック先生」
美少年ヴォイチェフ・クラタくんは現在どんなおじさんに?
「僕がいない場所」※※
「明日の空の向こうに」※※
ドロタ・ケンジェルザヴスカの子どもものは秀逸…この人子ども撮るののプロ、と思っていたのに「木洩れ日の家で」(ドストエフスキー少年最高)ではおばあちゃん撮っても天才だった。
短編「グーチャ」※※も忘れ難い。

チェコ(チェコスロヴァキア含む)
「コーリャ 愛のプラハ」
「クーキー」※※
「盗まれた飛行船」※
好き好き大好き!カレル・ゼマン。タイム・スリップしているのに妙に落ち着き払ってノートに記録しなきゃとか言っている「前世紀探検」も好き。

ハンガリー
「悪童日記」※
原作が衝撃的に素晴らしいだけに映画は残念な点がいくつか。おばあちゃんが避難民を助けるシーンはあって欲しかった。
「だれのものでもないチェレ」※
自殺と言えばハンガリーだった時代の映画だからね。

ギリシャ
「霧の中の風景」※

スペイン
「蝶の舌」※

ドイツ
「橋」※※
「名もなきアフリカの地で」

フランス・ベルギー
「少年と自転車」
「息子のまなざし」
「ある子供」
「マルセルの夏」「マルセルのお城」「さよなら子供たち」「サンドイッチの年」「トト・ザ・ヒーロー」「イゴールの約束」
「赤ちゃんに乾杯!」
「MONDO」※

北欧
「ペレ」
「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」
「バード・ストリート」(公開時タイトルは「マイ・リトル・ガーデン」)

イギリス
「SWEET SIXTEEN」※※
「ケス」※※
「太陽の帝国」
「戦場の小さな天使たち 」

南アジア
「サラーム・ボンベイ!」※

ラテンアメリカ
「100人の子供たちが列車を待っている」
「今夜、列車は走る」
「ナイト・オブ・ペンシルズ」
「セントラル・ステーション」
「ラテンアメリカ 光と影の詩」
「イノセント・ボイス 12歳の戦場」

重要!
私がこれまでに最も泣いちゃった映画だ。「金色の雲は宿った」「灰色の石の中で」←この二本立てを今は亡きバウスシアターで観て号泣。
要するに子どもが死んじゃうのは涙涙なのだ。

(まだ補充する)

2016年5月1日日曜日

今年のメーデー

今日の日曜日はパスハなので、前のブログ記事ではパスハのお祝いのカードを載せたが、今日は全世界的にはメーデーでもある。
アメリカのシカゴの労働者の運動が発端の、労働者の祭典…と学校でも労働組合でも習ったのだが、なんか、最近のメーデーって、日本でも連合系?は四月にやっちゃったりして、メーデーじゃないじゃん!と思ったのだけど、ロシアの方も今では労働者云々とはイメージ違うかも。

(ソ連のメーデーのイメージは映画「私は二十歳」にあるような、職場の人たちと楽し気に都心をデモ、というもの。)

Белые, фиолетовые цветы, стих
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     ↑
これなんか、普通に春が来たねとお祝いしているようだ。

肉球新党的には

Две кошки стоят на задних лапах
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あたりを推しておこうか。

でも、こんな感じのクラシカルなのがあらまほしき形だな。 Земля, красный флаг, розовые цветы
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うちの教会の先生は説教が長くだいたい午前中には礼拝が終わらないので、デモ出発が12時過ぎ予定だと、間に合わないだろうと踏んでいた。
原宿駅出たあたりで合流するか、過ぎてしまっていたら、そこから追いかけるか?
というつもりでいたが、今年はなぜか出発が遅かったようで、なんと間に合った。

デモ出発地点で肉球プラカ(吾輩は戦争法制に反対である/安倍ニモマケズ)出したら、写真撮っていい?とか、やっぱりプラカは可愛くなくちゃね、と目立ってくれた。
同僚には党首が美猫であると褒めてもらえた。
(うちの子に似ている。)

メーデー行進だから、直接自分たちの賃金の大幅アップや週休二日制をシュプレヒコールやプラカでアピールしたいのだが…

ひとまずは ↓ をメインにしたかったのだが、
 

 
周囲の若手弁護士の先生方には「安倍ニモマケズ」↓とか、「アベ政治を許さにゃい」のプラカも、お目に留まっていた。

今年のパスハ



こりゃなんかピカチュウみたいだな。可愛いというのか微妙。


Замечательная поздравительная анимация Пасха Ангелочки, цыплята, солнышко, цветы, бабочки
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今年のパスハは5月1日。
ってことで、プロテスタントやカトリックが3月27日だったのに対して、随分遅い。
5月にパスハがあるっていうのは、何だか『巨匠とマルガリータ』みたいだな。

今年のパスハとクリーチ。
今年はメーデーが日曜日だったので、礼拝(プロテスタントなので復活祭は3月27日で、今日は復活節第6主日、15日が聖霊降臨祭になるその前に聖霊についての説教だった)→メーデーでデモに合流…遅れるかと思ったら、今年はデモ出発が遅くてなんと間に合った。
デモから帰って図書館にも行って、さあ、パスハとクリーチの仕上げ!

信者の方たちはこれまでマースレニッツァでバターの食いだめして以降、大齋の節制をしてきたのでしょうが、私は特に食事制限はしていませんから、これは危険な高カロリー食品!!!
パスハは大いに甘くて練乳の味。
クリーチも元々甘い上に砂糖を山ほど使ったアイシングを振りかける。
パスハとクリーチでバターほぼ1箱分使う。とにかく凄くカロリー高い。
 

いつものようにブルガリアヨーグルトのパックを型にして作ったのですが、
何だか丸っこい形になりました。
 
パスハの上のХВ(Христос воскрес! )はハリボーのハッピーイースターパックに入っている卵型のグミです。
茶色いのはホワイトマルベリー(イラン産の桑の実)。
文旦のピール、イラン産のイチジクとレーズンでも周りを飾った。

クリーチは昨夜(というか今日未明の)3時過ぎまでかかって焼いたのだけど、180℃で50分だと頂点が黒々してしまった感じ。去年なかなかいい具合に焼けなくて何度も焼き増したので長めにしたのだけど、40分にして様子見た方がよかったか。
アイシングは積もらず滑り落ち、下が東京の雪のようにぬかるみ状態。
 
見た目はよくないですが、味はまあまあ。
要するにとてもとても陶然とするほど甘いです。
 
С Пасхой!