2016年6月12日日曜日

作家とサッカー16 ガガさんことゲオルギイ・コヴェンチューク

「フョードル・フョードロヴィチ」より(P17)

 「ワーシカ、こっちへ来いよ」と彼は優しい声でネコを呼び、耳の後ろを撫でてやるのだ。
 だが、台所のいびつな箱だけが彼の生きがいだ、なんて言うつもりはない。断じてそうではないのだ。箱のほかにも、たいせつな技師資格証書や、サッカーや、テレビなど、大好きなものがあったし、それからもうひとつ―酒にも目がなかった。仕立て屋をしている妻は夫の楽しみをまるで理解しようとしなかったが、彼は哲学的な忍耐強さで耐えていた。もし妻がもっと従順な女だったら、台所の箱に座るフョードル・フョードロヴィチの姿はなかったかもしれない。きっと自分の部屋のテレビの前でタバコを吸いながら、サッカー観戦を楽しんでいただろう。だが、人生とは得てして儘ならないものだ。(略)
 フョードル・フョードロヴィチは酔っぱらうと、サッカーや技師資格証明書の話や、仕事場で頼りにされていることなどを嬉しそうに話した。

世界中どこにでもいそうな、普通のサッカー好きの(恐妻家の)親父さんの描写、このあたりはまだノスタルジック。

画家のガガさんことゲオルギイ・コヴェンチュークが思いがけず昨年世を去っていた。芸術家の血筋としてはとても恵まれた血筋で、叩き上げの人の苦労はわからないかも、などと思っていたが、こちらはソ連時代のレニングラードの共同住宅住まいを綴ったエッセイで、これまで『ガガです、ガカの』で読んできた楽天主義満載の天才アーティストという印象とは違った面が見えてくる。
というのはコムナルカ(共同住宅)に暮らす人々の人生は、下町のお節介と人情みたいなハートウォーミングな話題に終始するほど甘くはない、いやむしろ予想以上に過酷だという読後感を持ったからだ。
何より、あの時代は過ぎ去り、当時同じコムナルカに住んでいた人々は殆どが故人である。作者のガガさんさえ、もういらっしゃらない。
『私のモスクワ 心の記録』だと当時の生活は古き良きソ連の回顧として語られるが、こちらはもっとずっと苦い味が残る。

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